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講演会コウエンカイ 2004ネン10ガツ〜2019ネン1ガツ (46カイ)
         
  年月日 講師 テーマ名 概要ガイヨウ  
1 2019/1/14 藤田道男 
宮田太郎
『多摩よこやまの道はニュータウンの宝』〜歴史と展望の遊歩道 誕生の物語〜。『いまこそ!歴史古道を活かした観光広域連携まちづくりを』〜多摩丘陵と武蔵野を結ぶ“いにしえの道たち”〜 多摩タマ各地カクチの「歴史レキシあるミチ」をかして、これまでなかなか実現ジツゲンしなかった広域コウイキ連携レンケイへのココロみとして、情報ジョウホウ交換コウカン交流コウリュウからハジめます。多摩タマらすヒト々のホコりになる歴史レキシ&遺跡イセキ保全ホゼン活用カツヨウ推進スイシンし、多摩タマ地域チイキならではの人間ニンゲンテキらしにざした、アラたな観光カンコウ自立ジリツカタチ創造ソウゾウしていきたいとカンガえます。またそのことを念頭ネントウに、意思イシある個人コジン団体ダンタイ・自治体が力を合わせ、知恵を出し合える交流の場・協業の場の構築をめざします。
2 2018/10/7 黒田尚嗣 歴史講演会 『日本遺産とは何か』〜
歴史ある道を活かす時代〜
 いま列島各地で、地域を活性化するために、文化庁が推進する「日本遺産」への登録が効果を上げ注目を浴びています。地域の人たちと、来訪する外部の人たちがふれ合うことを念頭に、ツーリズムを通して、その地ならではの歴史・文化資源の魅力をどのように伝えていくか、活かしていくかについて様々な取り組みが始まっています。そもそも日本遺産とは何なのか。また多摩地方に広く残る古街道群や遺跡と歴史観光ポイント、ストーリーなどをどのようにこれから活かしていったら良いのかをお話ししたいと思います。
3 2018/7/28 田尾誠敏 歴史講演会 テーマ;古代相模国高座郡をめぐる地域支配と交通 東西日本を結ぶ大きな交通路が通過したであろう相模国の「高座(こうざ)郡」。この高座郡には、南部と最北部の二地域に交通上の要衝があり、その郡庁も時期は不明ながら二つあった可能性について、これまで古街道団では探索会や講演会を実施し検討してきました。このたび、東南ヨーロッパやアジアの古代史、相模国の古代交通路や官衙遺跡の研究の第一人者として著名な田尾誠敏先生に、ご講演頂く機会を計画致しました。ご出身校の東海大学湘南キャンパスの調査も含め、長年にわたり携わってこられた相模国の壮大な古代史と研究のご成果の一端をテーマにお話し頂きます。奮ってご参加ください。
4 2018/3/31 山口清 春のスペシャル企画!歴史講演会&現地散策(旧・津久井郡城山町)『早春の津久井地方と城山町の歴史の魅力を知ろう!』〜山口清先生の講演会と地域歴史散策の集い〜  府中・多摩と甲州・信州をつないだ“古代からの道=甲州古街道(古代甲州道)”が通っていたと考えられる旧・城山町地域は、相模野の奥座敷にあたり、豊富な遺跡が残ります。長大なる参道や古墳で知られる川尻八幡宮や吉見百穴と同様な約100基の横穴墓(春林横穴古墳群)ほか、様々な遺跡が眠る旧・城山町域はとても重要な歴史ある地域です。午前中は、永年に渡り津久井町史や城山町史の編纂に関わられ、また城山地域史研究会の代表、また教育長として、神奈川県西北部の地域史研究を第一線で支えて来られた山口清先生に熱い郷土への想いを語って頂きます。また昼食を挟んで、相州の桜咲く「奥相模野」の心地良い歴史風景の中を、地域の皆さんとそぞろ歩きたいと思います。奮ってご参加下さい。
5 2018/1/17 宮田太郎 『“長大なる参道”を持つ神社の謎 』〜海人・修験・渡来系の社寺からのメッセージ〜 鎌倉・鶴岡八幡宮、茅ヶ崎鶴嶺八幡宮、相模原・川尻八幡宮、大宮氷川神社、杉並・大宮八幡宮、府中大國魂神社、調布・深大寺、長野・善光寺、九州筥崎宮、宮地嶽神社、宗像大社――数えたら切りがない各地の長大な参道を持つ神社や寺院の存在について、海人系・修験系・渡来系などの様相の違いや、共通点などを独自の視点で考察。そしてそれらのルーツは対馬の和多津美神社にあるのか、また広島の厳島神社、箱根芦ノ湖の箱根権現にも反映させたそのメッセージについて考えていきます。
6 2017/12/19 宮田太郎 講演会&年末交流会「道の力!」と古街道探索の楽しみ方〜人生を変える「道」との出会い〜 かつて人々がこぞって歩いた道は、古道となっても「人」を惹きつける不思議な力が内在している――これは永年各地の古道を辿ってみて気が付いたことでした。それは「道」というもの自体がそれなりの期間、続けて「線」として使用され、活用されたこと自体が、何かの複合的な道理に叶っているからではないのか――。だとしたら、例え現代の乱開発の果てに途切れ途切れになっている古道跡だろうが、今の生活空間にある生活の小径だろうが、人々の往来の息吹や賑わい、関わり合いがその線の上に湧き上がり、人と人、地域と人がつながることで生まれる“幸福感”を再確認できる「場」なのではないか――。身近な「道」の不思議な力にとことんこだわり、その深い魅力やこれからの活用の可能性についてお話しし、考える時間としたいと思います。
7 2017/9/30 多賀穣治・宮田太郎他 “鎌倉古道跡”を地域振興&観光資源に!〜関東武士団が駆け抜けた道〜 「古代街道」や「鎌倉街道」跡が奇跡的に遺された多摩丘陵の実態を古街道研究家の宮田太郎氏がT部で紹介。U部は、武蔵野から多摩丘陵につながる各市の「歴史ある道」の保全と活用、観光活用や広域連携の未来をテーマに、各市を代表する文化財の専門家が熱く語る。
8 2017/8/31 天野賢一 歴史講演会『相模川の縄文集落群が語るもの』〜川尻中村遺跡とその周辺"〜  歴史古街道団では、現在、伊那・諏訪・八ヶ岳・甲府盆地・相模野・多摩丘陵・武蔵野が縄文文化の交流で密接な結び付きがあったのではないかという視点で、その“交流の道と遺跡”を探索しています。その中でも平野や盆地から関東山地に出入りする境目の集落群として、休憩と情報交換の場の役割を担っていたのが、津久井城跡を目前にした相模野の縄文大集落「川尻遺跡群」であり、また甲州盆地の釈迦堂遺跡付近ではなかったかと考えています。今回は、その出入口にあたる津久井城跡に面した奥相模野で、次々に発見されている川尻遺跡群の発掘を担当されてきた講師の天野賢一先生に、ご専門のお立場から相模川流域の縄文集落に関して、お話しいただきます。
9 2016/8/2 増井有真、宮田太郎 東山道講演会、@発掘調査で分かった東山道武蔵路の様相、A多摩丘陵を越える古代東海道の推定路について  東京都国分寺市内では,これまでに約70カ所の調査区で古代官道である東山道武蔵路の遺構が確認されています。台地上では,幅約12mの直線道路が340mに渡って発見され,国分寺崖線や武蔵野段丘面を開析する谷や湧水源付近の調査区では,起伏にとんだ地形や湿地帯を克服するための土木工事の痕跡も確認されています。また,武蔵国分寺付近では,寺院の造営と一体となった道路の整備が図られ,東山道武蔵路が官道としての役割を終える宝亀2年以降も平安時代の終わりまで南北の交通機能を有していたことが判明。最近の調査成果も踏まえ,国分寺市内の東山道武蔵路について紹介します。
10 2016/5/29 宮田ミヤタ太郎タロウ富田トミタ昭夫アキオ 研究ケンキュウ発表会 大栗川倶楽部;活動報告。;武蔵野の湧水地帯と推定古東海道 「史料」と「地図」をもとに当時の出来事・人間関係・時代背景などをあわせて調べ、書かれた文章の「真の意味」を読み取ることで、意外で奥深い歴史上の事柄を、自分の力で「史料」から発見する楽しさがありました。また、文化遺産の内容と、基礎的知識をなど修得し、遺跡・遺構、彫刻、工芸、装飾美術、建築などについて実際の作品、遺産に触れ講演会への参加によって最先端の研究にふれながら、現場で遺産を調査してきました。また、いくつかの班に分かれて地域住民からの聞き取り調査も行い、興味と感動を実感することができました。
11 2015/8/25 宮田太郎 新視点!甲州盆地の古代史ロマン『“酒折宮と葡萄の道”の謎』 諏訪湖や甲州盆地は日本列島のへそともいうべき、列島の真ん中に位置しています。有名な甲州ワインに使用する葡萄の原種「甲州種」は、山梨県立博物館の調査でシルクロードの西域南道のホータンの葡萄とDNAが極めて近いことが判明しています。それは一体いつどうやって甲州に伝えられたのか、また酒折宮との深い関係や、盆地全体を区割りした古代の基軸線・中道往還の不思議な話を新視点でお話しします
12 2015/7/28 宮田太郎 〜相模と武蔵の渡来文化ロマン〜『高麗若光と高麗人たちの足跡を探る』  来年(2016)は、武蔵國に高麗郡が建郡された西暦716年から1300周年にあたります。埼玉県日高市では、これに因んで「高麗建郡1300年祭」を企画し、様々な記念事業が予定されています。宮田団長も記念事業の一環である「高麗郡1300年大学」の講師に招かれています。今回は、これらとは別に、古街道団としての自主的開催(於:多摩市)となります。西暦666年頃に高句麗国から日本列島とくに関東に亡命してきた人々とそのリーダー高麗若光(玄武若光)について、またその後に拡散していく「相模と武蔵の渡来文化ロマン地帯」について、これまでの研究から何がみえてきたのかについてお話します。
13 2015/3/17 宮田太郎 『相模大山と日向薬師の謎』〜高麗若光と大友皇子伝説のロマン〜 古代に良弁が開山したとも伝わる相模大山一帯は、飛鳥時代に戦乱を逃れて日本に亡命し、大磯に上陸した高句麗からの一団と深いつながりがあったエリアだった?!ーまた大山へ上る最古の参詣道は、厚木市小野付近の古墳群地帯を通り、日向薬師へと向かう大山東口が本路であったのではないか。それは日本書紀に記されたヤマトタケル火責めの場となったサガム国(相武国=相模原・海老名・厚木)側から入る東ルートであり、武蔵国府周辺から続くルートでもあったはずだ。また、壬申の乱で琵琶湖大津に葬られたはずの大友皇子の墓の一つも日向薬師の奥地の「御所」に伝説と共に遺されている。もう一つの千葉県木更津の旧鎌足村の東方にある白山神社の皇子の墳墓とつながる理由など、知られざる大山古街道の終点に秘められた謎に迫ります
14 2014/5/24 宮田太郎 『古代東海道の痕跡・発見!』〜大磯と町田及び瀬谷の森〜 飛鳥・奈良・京都の都と直結していた古代東海道は道幅10m〜12mの大規模道路だった!

その迫力ある痕跡を遂に関東の大磯高麗山付近と町田市野津田、別ルートの横浜市瀬谷の森で発見。未知の「駅家跡」も推定する貴重な発表です。団員外の一般の方も、記念歴史講演にはこ参加頂けます。
15 2013/8/24 宮田太郎 『富士五湖・秦始皇帝の使い“徐福”伝説』、講師:宮田太郎団長 富士山麓の古代世界は溶岩流の中に埋まってしまっているのでしょうか。古くから富士吉田・河口湖周辺には、秦の始皇帝の命令で不老不死の妙薬を探しに日本に来た徐福方士と一行の伝説が豊富に残っています。古い伝説ならではの脚色もありますが、なぜこの地方にそのような話が広く伝わっているのかという大事な探究が大切です。そのロマンの地の魅力に迫ります。
16 2013/7/20 宮田太郎 『伊豆の三島神と古代遺跡の謎』、講師:宮田太郎団長 伊豆国府近くにある三島大社の主祭神である三島明神は、おお大山祇神(おおやまつみ)や事代主命を合わせた神ではなく、実際は伊豆白浜に三宅島から移った海洋民族のリーダーであり、南伊豆一帯を押さえていた弥生〜古墳時代頃の独自の文化圏の存在が考えられます。白浜神社の火達祭や須崎の夷島の烽火台遺跡こそ、伊豆七島それぞれにいた妻子や同族との合同祭りの合図であり船を呼び込む灯台の役目をしていたのではないでしょうか。150万年前からの火山活動の痕跡であるジオパーク資源の神秘の中に重なった伊豆神話が織りなす壮大な歴史ストーリーと遺跡についてお話しします。
17 2013/5/26 宮田太郎 団長講演『鎌倉大城郭!〜山崎地区の鎌倉防戦遺構群〜』 世界遺産を目指す関東の歴史都市・鎌倉。軍事拠点でもあった「武家の古都鎌倉」の構造、特に外郭部は未確認なことがたくさんあります。特に鎌倉幕府が新田軍により崩壊した戦いで激しい攻防が繰り広げられた大船(洲崎)側は、正に鎌倉防衛の最前線であったはず。この北鎌倉・山崎地区にてのこれまでの独自の実地踏査で確認した鎌倉城の防衛・防戦遺構の数々、その跡地にできた魯山人の窯跡や彼のユートピア遺跡などについてもお話します。
18 2013/3/7 宮田太郎 「東北エミシ古道の魅力〜蝦夷の首長アテルイとモレの砦〜」 かつて古代〜中世にかけて、関東から東北地方、そして北海道南西部にかけて蝦夷(エミシ)の文化圏が広大な範囲に広がっていました。蝦夷(エミシ)とはいったいどんな人々で現代の私たち日本人の歴史の中にどう関わってきたのでしょうか。有名な京都の清水寺の舞台の下には、エミシの首長アテルイやモレの顕彰碑があり、かつてエミシ征討に向かった坂上田村麻呂とアテルイたちの深い心の交流を今に伝えてくれています。関東の八ヶ岳から東北仙台の多賀城そして一関・平泉〜奥州水沢のアテルイの砦まで、エミシ古道の深い魅力をご紹介します。
19 2013/2/9 宮田太郎 “地域史懇談会”、「多摩は本当に古街道が集まる里なのか」 ウォーキング参加者や団員相互の交流をより一層図ろうと、今年4月から2ヵ月に1回程度開催している「地域の歴史の情報交換会・学習会」です。

この会合からガイドウォーキングの企画・実施や伝統行事の謎解きの試みなど、いくつかの成果が現れつつあります。

今年度は後、次の2回を予定していますので、奮ってご参加ください。
20 2013/2/2 江口 桂 発掘が語る”古代都市・武蔵国府” 国府は“古代の都市”であることをあらためて実感しながら永年調査をされてきた江口桂さん。最近の発掘成果を元に、発見された数多くの遺構から見えてきた古代〜中世の道路網や、国府全体の様相、さらに9世紀代の大地震をも乗り越えて来た古代武蔵国府のまちづくりの姿など、その成立から展開までについて興味深い数々のお話しをして頂きます。
21 2012/8/25 宮田太郎 鎌倉時代秘史『知られざる義経・弁慶の拠点発見!源氏と熊野武士団・多摩丘陵の地下活動の謎』講師:宮田太郎団長 鎌倉幕府の拠点であった古都・鎌倉と、武蔵国府府中の間には深く幾重にも谷戸が入り込んだ多摩丘陵があり、彼ら源氏と支援する熊野修験者の行動を覆い隠すような安全地帯でもあった。そこで綿密な計画は練られ、源氏再興を願いつつ遂に兄・頼朝と再会した直後の義経は、府中・分倍河原の高安寺の宿泊施設と、小田急線の向ヶ丘遊園付近にあった兄・今若の威光寺や、新百合ヶ丘、柿生、鶴川などの家臣団の拠点、後白河上皇の娘たちの隠棲地を根城に、謎の空白時期である3年半を平家打倒・源氏再興のために費やしていった――誰も書かなかった多摩の秘史をいま少しずつ明らかにしていきます。ぜひご参加下さい。
22 2012/7/29 宮田太郎 古事記再検証!古代サガム(相武)王国と厚木の高松山古墳〜ヤマトタケル草薙剣の舞台は厚木だった?!〜講師:宮田太郎団長 初めて古街道団が測量したことで本格調査の弾みが付いた厚木の高松山山頂の「高松山古墳」が、市により本調査を実施する方向で検討会が始まっています。昨年の6月の試掘での成果を受けて、弥生時代から古墳時代に移行する時期の前期古墳である可能性も含めて、いよいよ本調査でその真を確かめるべく準備を開始するわけです。『日本書紀』に比して、信頼性がより高いと言われる『古事記』のヤマトタケル東国平定記述では、東国に向かう途路で豪族に火攻めに遭い草薙剣を振るう話が登場します。その舞台は「さがむのくにのおぬ」=神奈川県厚木市の小野とあり、定説のようになった静岡県の焼津ではなかった可能性が高いのです。かつては地元の誇りであった説話も、明治天皇の陸軍近衛師団の演習御高覧からは、地元にとって当地方が皇太子を攻めた賊軍の地であってはならないという配慮から、古墳の古い埋葬遺体を除去してお立ち台を造り、行幸後は誰もが古事記の記事は口にしなくなったのかもしれません。しかし厚木の小野周辺には、弥生の墳丘墓を壊して造られた最古級の岡津古久古墳や、その後に続くホウダイ山古墳、愛甲大塚古墳、地頭山古墳、小金塚など古い古墳が多く有り、古代サガム(相武)国の中心地であって、ヤマトタケルの侵攻を当初は阻んだという歴史ロマンが見えてくるのです。全国でも最古級の前期古墳に属す可能性も含めて、団長自らが、厚木市民・神奈川県民に歴史資源活用の新たな道づくりを問いかけていきます。
23 2012/3/12 宮田太郎 “鎌倉街道早ノ道”とは何だったのか 1987年のこと、東京都多摩市連光寺において、開発の造成で山が崩された後の崖上に、古街道の跡が見えているのを確認(宮田・団長)。これこそ町田市鶴川にあった幻の街道「鎌倉街道早ノ道(はやのみち)」の続き部分ではないかと気付いたものの、この山が更なる土地区画整理で失われることが判明。古街道帥人会や関連18団体が署名活動を開始しようやく発掘調査が実施。その結果、近世や中世の道の下に、古代の12M幅の道が発見され、後に奈良の平城京へ続く大街道「防人の道・古代東海道」が東京で見つかった――として知られることになりました。その際に中間地層から見つかった「幻の鎌倉街道早ノ道(はやのみち)」と考えられる道路跡について再度検証していきたいと思います。
24 2012/2/29 宮田太郎 鎌倉武士団と鎌倉街道―@ 『平山季重伝説と小山田一族の謎』  かつて関東平野全体に広がっていた12世紀後半の鎌倉武士団の拠点の数は約370地点以上。それぞれに土地の名前を名乗る一族郎党が棲み活躍していました。中でも多摩丘陵周辺は上州(群馬)の中心地に続いて武士団の集中する地域。この武士たちは普段はどんな生活をし、どんな活躍をしたのかについて、日野市の平山季重(義経に従軍して一ノ谷合戦などで活躍した有名な武将)と小山田重成ほか兄弟(鎌倉幕府の重臣として、また牧の管理や幕府における流鏑馬や弓馬の師匠として活躍した人々)についてお話します。*会場・時間/未定 *会費/団員500円 一般700円
25 2011/9/23 多賀譲治 歴史シアター鎌倉街道『語ろう!話そう! 鎌倉街道と鎌倉武士の時代』 @特別講演『 知るほど楽しい鎌倉時代』【講師】多賀譲治先生(玉川大学講師・玉川学園研究員・日本文化財保護協会顧問)。A質問と語り合い…多賀先生と会場参加者、玉川大学の多賀譲治先生が、とっても楽しく手に取るようにわかりやすい鎌倉時代の本を出版されました。鎌倉時代の暮らしや出来事の数々を紹介!『知るほど楽しい鎌倉時代』(理工図書2,300円+税)
26 2011/8/27 小野一之 歴史シアター鎌倉街道『語ろう!話そう!鎌倉街道と鎌倉武士の時代』 @特別講演『 鎌倉街道の歴史と文学』【講師】小野一之先生(府中市郷土の森・副館長)A研究発表【講師】宮田太郎(団長・古街道研究家)『鎌倉街道の地下構造の不思議〜鎌倉街道は誰がどのように造ったか〜』
27 2011/7/23 峰岸純夫 〜鎌倉街道を知ろう!〜『東国中世史の中の鎌倉街道』 鎌倉街道ははたしてどんな役目を果たしていたのでしょうか。中世日本史研究の第一人者であられる峰岸先生は、戦の道、信仰の道、産業の道などの様々な視点から詳細なる分析をされています。源頼朝が伊豆で挙兵をした前年に、火災にあって焼けた信州善光寺の謎、その修復に駆け付けた頼朝一行のこと、そして鎌倉極楽寺の僧侶が記録した宴曲抄に詠いこまれた、善光寺に至る鎌倉街道沿線の地名の数々。中世鎌倉時代の交通路・鎌倉街道の深い歴史の謎に迫る貴重な講演です。
28 2011/5/29 宮田太郎 『頼朝と政子・その愛』〜新説!実地踏査から頼朝の最後の真相に迫る〜 こんなにも面白く、深い絆で結ばれていた夫婦はいない。誰も知らない頼朝の青年時代の心と波乱の人生終焉の真相、ある女性の影、現地ルポから判明した数々の史実?をお話しします。
29 2010/8/1 宮田太郎 関東の邪馬台国時代ロマン“東京湾連合王国” 邪馬台国論争は江戸時代から続き、九州なのか大和なのか、あるいは他にあるのかと論議は平行線である。しかし、今最も注目すべきは、環東京湾の弥生〜古墳時代前期遺跡群なのです。横浜港北エリアだけで、古墳時代に先行する弥生時代の環濠集落は30箇所以上もあるだろうといわれてきています。卑弥呼より古い時代に始まる遺跡群がなぜ東京湾沿岸に集中するのか。また相模湾沿岸ではどうだったのかなどを考えます。
30 2009/12/12 宮田太郎 創立5周年記念大会、<記念講演&パーティー>@「万葉・感動の道 〜竹之内街道・吉野の道〜」 今野耕作氏(団顧問)A「九州の古代山城・鞠(きく)智(ち)城(じょう)」 大田幸博氏(熊本県立装飾古墳館長) 今野先生の大和の古街道のお話に引き続き、当日は遠方の熊本から大田館長が駆けつけて下さいます。防人がいた古代九州・鞠智城の歴史とロマンを知る絶好の機会をお見逃しなく。また、参加者には、今年7月に開催された防人の城・鞠智城(熊本県)の東京シンポジューム「古代山城・鞠智城(きくちじょう)を考える」の資料を配布予定です。
31 2009/9/6 山崎和巳 多摩の発掘調査事例「打越山遺跡」・「和田西遺跡」 多摩市は、西日本と東日本を、また武蔵野と相模野を結ぶ歴史古道が集まっていた特別なエリア。そこですでに発掘された遺跡の中に歴史上、特筆すべき重要なものはなかったのか。大規模開発が終わって久しい今、問い直す時期が来ている。

聖蹟桜ケ丘に近い連光寺の発掘現場から出現した7世紀(飛鳥時代)後半頃の大規模な道路跡は果たして防人が歩いた「古代東海道」であったのか。そして中間層で見られた中世の道路跡は伝説の鎌倉街道早ノ道であったのか。また、和田地区の発掘で発見された縄文遺跡からは、三内丸山遺跡等と同じような大型の建物跡やロングハウスといわれる集会所のような大型建物跡が見つかっていた事実!。担当者であった山崎さんに当時を振り返りその思いをお話しして頂きます。
32 2009/8/20 宮田太郎 歴史咲く里みち・フットパスガイド養成講座−U、“里みち”から始まる大人の豊かなる嬉し楽し遊び術 2009年2月7日、東京都町田市から産声を上げた日本フットパス協会(会長:町田市長。事務局長:神谷由紀子氏)は、北海道や山形県、山梨県などから市長や関係者も加わり発足。実質的な活動が開始されました。地元との交流を第一に考えたフットパスは、里山にまで恒常的に歩く人が流れる新しいフットパスシステム。エコな思考や環境への関心、里山保護や農業興隆の思想、歴史遺産である遺跡や史跡、古道、石仏や伝承地の保全や活用、観光や物産交流など様々な観点で思考・行動するガイドリーダーやコーディネーター、コミュニケーターがいま求められています。将来、ガイド(有償)として全国への普及に努めて下さる方、必見講座です。お気軽にご参加ください。
33 2009/7/22 宮田太郎 歴史咲く里みち・フットパスガイド養成講座−T、歴史古道フットパスと地域コミュニティー〜期待される歴史古道ガイドリーダー&コーディネーター養成に向けて〜 2009年2月7日、東京都町田市から産声を上げた日本フットパス協会(会長:町田市長。事務局長:神谷由紀子氏)は、北海道や山形県、山梨県などから市長や関係者も加わり発足。実質的な活動が開始されました。地元との交流を第一に考えたフットパスは、里山にまで恒常的に歩く人が流れる新しいフットパスシステム。エコな思考や環境への関心、里山保護や農業興隆の思想、歴史遺産である遺跡や史跡、古道、石仏や伝承地の保全や活用、観光や物産交流など様々な観点で思考・行動するガイドリーダーやコーディネーター、コミュニケーターがいま求められています。将来、ガイド(有償)として全国への普及に努めて下さる方、必見講座です。お気軽にご参加ください。
34 2009/1/12 近藤純夫 モンゴロイドは海の道をたどる、カヌー民族が結ぶアジアとポリネシア ポリネシア人の始祖とも言えるアジア人の集団はいつどこで発生したのか? その集団はいかなる理由と方法によって赤道直下へと南下し、さらにはメラネシア、ミクロネシア、さらにはポリネシアという太平洋の広大な領域に独自の文化を築くことができたのか? 彼らのカヌーはきわめて貧弱なものだったが、当時の最先端を行く欧州の帆船よりはるかに高速に移動できたという。その存在さえ定かでない未知の島を求め、彼らが試みた長距離航海と、それを可能にした驚くべき知恵を見ていきます。また、エスキモー民族と南洋民族の意外な共通性や、民族の根絶をもいとわぬ熾烈な戦いなど、今日のハワイに残る豊富な伝承をもとに、モンゴロイドの海の道を辿ります。
35 2008/11/3 小野一之 〜多摩の横山を越えて〜万葉集東歌・防人歌の世界 有名な万葉時代に防人や妻が残した歌の数々。背景にある歴史景観や歌の深い意味、隠された人間・家族の悲哀の物語を熱く語る万葉歌研究の専門家・小野さんの楽しいお話です。国府政庁跡がついに発見された府中にある博物館での専門家のお立場ならではの興味深い話がいっぱいです。
36 2007/8/2 多賀穣治 古街道団合同講演会。テーマ:「鎌倉時代」その社会と生活。講師:玉川学園・大学 研究員 多賀譲治氏 日本の歴史は考古学という科学と結びつき、過去に生きた人々の生き様がより具体的に見えるようになってきました。吾妻鏡や御成敗式目から読み解く当時の社会や価値観と、考古学上の新しい発見から見えてきた当時の生活を結びつけて、より身近に感じられる鎌倉時代をお伝えします。
37 2006/12/19 宮田太郎 飛鳥キトラ古墳と多摩の深い関係の謎 古街道の遊び人〜月夜に浮かぶ多摩古道・悠久の山海へあなたを乗せた船はゆく〜”

緩やかな音楽に乗せて感性の古道歩きが始まる!―今年1年を総括する多摩丘陵と古道へ熱き思い、そしてすべての古道を愛する人々へのいざないの時間です。ゆっくりとした時間の中で眼を閉じて右脳の奥に眠る壮大な人類の記憶の旅にでましょう。
38 2006/11/5 今野耕作 宮田ミヤタ太郎タロウ さきもりまつりシリーズ学習会心情の叫び〜万葉防人の歌と筑紫への道  @「真情の叫び〜万葉防人の歌と筑紫への道」:今野耕作・埼玉大学特任教授(団顧問)A「防人も歩んだ古代東海道、北九州での防人の足跡」:宮田太郎 万葉集の中に収録された98首にのぼる「防人の歌」は、郷土を愛し家族を愛し、平和を願いながら遠く北九州に単身赴任した防人たちの真情の叫びが歌われています。このうち武蔵の国出身の防人や妻達の歌からその心を想い、また当時の政

治的背景や風俗習慣など歴史を学習します。

@「万葉集と防人の歌U」防人として筑紫へ赴く男達が妻や家族を想い、見送る妻達が夫の身を案じ嘆いた、真情溢れる万葉歌の解説など。

A「防人も歩んだ古代東海道、北九州での防人の足跡」防人制度の意味と背景、多摩を貫く国道・古代東海道、対馬・壱岐・北九州に残る東国防人の足跡
39 2006/5/7 宮田太郎 さきもりまつり2006実行委員会設立に向けた学習会 @講演会

  多摩ニュータウンと「よこやまの道」、講師=藤田道男氏(叶V都市センター常務取締役)

A学習会

  研究最前線!防人の道・古代国家の大道“古代東海道”はどこか 、講師=宮田太郎(歴史古街道団団長)他 

B「防人まつり2006」実行委員会設立についての説明会
40 2005/11/3 今野耕作 真情の叫び〜防人の歌 『万葉集』は1300年前に生きた人たちの心の叫びです。そのうそのない心の叫びを歌という表現で記録したのが万葉の世界です。その中から、兵士として徴発され筑紫・壱岐・対馬など北九州の守備に赴く防人とその妻や家族の歌をとりあげ、今野耕作先生にお話をしていただきます。 なお、この講演会は「さきもりまつり〜万葉防人見返りの峠ウォーキング2005」前の学習会として行うものです。参考に防人の衣裳を披露します。
41 2005/9/19 今野耕作 語り合おう万葉防人の道と多摩丘陵 〔内 容〕@ 防人とは何か。万葉歌と防人について、講師=今野耕作先生(埼玉大学特任教授)=ビデオ出演

A 防人の見返りの峠と古代東海道の謎(宮田団長)

B 万葉集の防人の歌について(調査研究部)

C 意見交換「防人の道と多摩丘陵」先に、学習講演会「口ずさみたくなる万葉秀歌とよこやまの道」と題して、埼玉大学特任教授今野耕作先生に武蔵国周辺の万葉歌と古道をテーマにお話いただく旨、お知らせしましたが先生の入院治療のため上記内容に変更しました。なお、ビデオは先生がこの学習会のために特別に作成して下さった講演です。
42 2005/8/7 宮田太郎 古街道学のすすめ〜だから古道研究は面白い 古街道団団員必聴の講座。基本中の基本がわかる内容。古道とはなにか〜どのようにしてそれを発見し、研究を深め、また楽しんでいくか〜など、数々の体験談を基にしたお話しがありました。
43 2005/7/18 山口清 『津久井城をめぐる道と史蹟』 『津久井城をめぐる道と史蹟』

〔講師〕城山町教育長 山口清氏

〔内容〕戦国時代、互いの勢力が拮抗していた甲斐と相模との境目の村々では、敵知行半所務といって双方の知行所に年貢を納めて村の平穏を願っていたこと、また大軍が通過するときはお金を出すなど事前に何らかの処置をして略奪に遭わないようにすることが、戦国時代の世の習いであったことなど地図、写真、文献を書画カメラを使って講演された。 

『団長研究報告』 歴史古街道団 宮田太郎団長

〔内容〕箱根峠から都へと続く平安鎌倉古道と多摩ニュータウン周辺で発掘された多摩古道の痕跡、道路の工事の方法などが非常によく似ていることを地図や図、写真をスライドを交えて説明。またこれらの道は繋がっていたと推論した。
44 2005/3/21 宮田太郎 「古街道の集まる奇跡の丘・野津田と小野路の歴史ロマン」 近い将来必ず全国的に話題になるだろう“古街道&関連遺跡群集中地帯”=町田市野津田丘(広大な緑地の残る野津田公園を中心とした丘)の魅力と壮大なる歴史ロマンについて。 

 この丘で20年前に発見した鎌倉街道(上ノ道本路)の話、当時実施され成果をあげた発掘の様子、後に団長や学者、市民研究者を中心として試掘が行われた推定・古代東海道の位置確認調査の成果、その後の市や都の発掘調査の成果、古戦場伝承と砦・山城遺構、板碑群、牧場・馬込を思わせる複数の谷の謎、など豊富な資料によりその魅力を紹介。
45 2004/11/30 宮田太郎 多摩古道は面白い!PART1ー古道群の様子 宮田団長を講師に学習会が行なわれました。

古街道とは、鎌倉古道とは、という古道に対する概念から始まり、長い時代を経て今日に残る古道跡の様子、探索方法など、古道に関する基礎知識の話に続いて、宮田団長が撮影した多摩地区の古道調査のビデオが上映されました。

開発により消滅してしまった多摩市連光寺打越山遺跡の、推定鎌倉街道早ノ道及び古代東海道の発掘調査状況や、発掘調査後埋め戻されて今やその存在を知る人もいなくなってしまった、野津田公園内の鎌倉街道上ノ道本路の巨大道路跡など、貴重な映像に感嘆し、ますます古道に対する興味が深まりました。
46 2004/10/9 宮田太郎 歴史古道でまちおこしフォーラム2004 第1部、歴史古街道団発会式

 (1) 団長挨拶&案内:宮田団長

 (2) 発足宣言、菊田運営本部長

 (3) 祝辞、藤田顧問:今野顧問

第2部、講演会

 (1) 道の歴史を考える:武部健一氏

 (2) 道の歴史を考える、「多摩古道」と「よこやまの道」から始まる歴史古道まちづくりネットワーク:宮田団長

【団長挨拶】

 長い間の待望であった「むかしの道」を対象とした研究団体が遂に多摩に誕生致しました。

 各地に残る歴史古道は、そこを訪れる人を未知の時空間へといざない、自分自身のルーツに出会ったときのような大いなる感動を与えてくれます。またその痕跡を追跡することで、未発見だった遺跡の数々が不思議なことにいくつも見つかってきます。

 それは、各地の長い間の歴史の流れには必ず道の存在があったからです。これまでの常識を超えるような意外な歴史の発見も、この未知なる道の世界を知ることから

始まるのではないでしょうか。

 一人でも多くの方にこの楽しく興味の尽きない古街道探検の魅力を知って頂きたいと思います。これからも古街道団の活動にご支援を賜りますようお願い致します。