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個別コベツガイドウォーク 2005ネン2ガツ〜2019ネン3ガツ (129カイ)
  (多摩の古街道と遺跡・城址めぐり)  
  年月日 講師 テーマ名 コース 概要  
1 2019/3/3 加藤正昭 新田義貞未踏の化粧坂を登ろう!〜洲崎古戦場から化粧坂経由で鶴岡八幡宮へ〜 中止チュウシ 元弘三年、上州の生品神社で旗揚げした新田義貞、鎌倉目指して攻め上る新田軍に続々と参 加する諸将、これを迎え撃つ北条軍と、分倍河原・関戸・瀬谷と闘い進軍してきました。 洲崎では、足利尊氏の妹婿であり、16 代執権でもある赤橋守時が迎え撃ち、戦闘すること 60 数回の後、ついにこれを打ち破った新田義貞でした。 しかし、化粧坂まで進んだ新田軍もその守りの堅固さに攻めあぐねてしまいました。 今回は、湘南深沢駅から「鎌倉古道 上の道」をたどり、その化粧坂砦の堅固さを考えな がら攻め登ってお昼、午後は化粧坂の鎌倉側の急坂を下り、ゴールの八幡宮前まで歩いて みましょう。
2 2019/2/9 須知正度 鎌倉古道を歩こう!C〜野老澤宿(=所沢宿)周辺を歩く〜 雨天ウテン中止チュウシ 倉古道を歩こう!の四回目は、所沢宿周辺を歩きます。所沢の地名の由来とされる野老 (トコロ)とは、ヤマイモ科のつる性多年草。自然河川の東川周辺に多くのトコロが自生し ていたので、野老(トコロ)澤と名付けられたと言われる現在の所沢。鎌倉古道を歩くと、野 老山實蔵院があり、遊石山新光寺、東光山薬王寺があります。新光寺は、源頼朝が建久4年 (1193)那須野へ向かう途中に田地を寄進したと伝えられ、新田義貞も鎌倉幕府倒幕後に改 めて田地を寄進したとされています。薬王寺は、新田義貞の三男義宗に所縁があると言われ ています。 鎌倉古道から少し外れますが、東川沿いに弘法大師所縁の三ツ井戸跡もあります。 所沢宿は、規模がそれほど大きくはなかったそうですが、見所は豊富です。 皆さんと一緒に歩いてみましょう
3 2018/12/8 須知正度 鎌倉古道を歩こう!B  宮田太郎推定の上道を歩く‐東村山〜所沢編 東村山駅西口 (10:00 集合)〜正福寺(国宝千体地蔵堂)〜北山公園〜八国山はっけんの里(下宅部遺跡)〜八国山緑地(昼食)〜将軍塚〜久米川古戦場跡〜悲田処跡公園〜勢揃橋〜長久寺〜西武新宿線所沢駅 (15:00 解散)  鎌倉古道を歩こう!の三回目は、東村山市の八国山周辺を歩きます。縄文時代後期(約4000年前)・晩期、古墳時代、奈良・平安時代の遺跡・遺構が発見された下宅部(しもやかべ)遺跡、北条時宗所縁の正福寺、眺望豊かな八国山、将軍塚(古代のランドマーク?)、久米川古戦場、元弘元年(鎌倉時代)開山の長久寺(所沢市)など見所豊富です。鎌倉古道は、八国山の東を回って柳瀬川を渡り北へ?または八国山の稜線(東京都と埼玉県の境)を越えて柳瀬川を渡り古代東山道武蔵路に収斂するように北へ?興味のある所です。
4 2018/11/17 山下実 中世の城址巡り 霞川流域の中世城館と在地武士達 JR「河辺駅」北口(9:40 集合)〜 バスB番乗り場(10:17発)「入間市駅行き」乗車〜「第三小学校前」下車〜報恩寺〜常盤樹神社〜藤橋城跡〜賽泉寺〜杣保葛神社〜正福寺〜今井ふれあい公園(昼食)〜今井堀之内遺跡(通過)〜今井城跡〜伝・金子家忠屋敷跡(通過)〜福昌寺跡〜金子家忠墓所〜桂川神社〜JR「金子駅」(15:15八王子行きに乗車)  霞川上流域の青梅から入間市金子までの間には中世初期から後期までの城館跡や寺院などが点在し、長期にわたり在地武士たちが居住・支配していたことが知られている。三田氏や北条氏のように広く知られている人達ではないが何れの武士たちも杣保地域(青梅市・飯能市周辺)では重要な役割を担っていた。古くは、源頼朝家臣で畠山重忠に従属していた金子十郎家忠。山之内上杉系三田氏の家臣の平山氏。北条氏照家臣の藤橋氏など。又、杣保には旧三田氏家臣で北条氏照の傘下に移った「清戸三番衆」の侍も多数みられ在地武士達の動向が伺い知れる。
5 2018/11/11 篠原啓一 伊能忠敬が歩いた道@日野宿から多摩一宮へ 寄り道の謎(その1) 高幡不動駅(10:00 集合)〜土方歳三像前〜JA東京みなみ七生前〜医王寺跡〜三沢馬頭観音〜真照寺〜落川公園〜落川都営住宅地区センター(昼食)〜地図講座(40分)〜落川遺跡公園〜小野神社(木造随身倚像見学)〜一宮の渡し案内板(15:15 解散)〜聖蹟桜ケ丘駅  今年は、実測日本地図を初めて作成した伊能忠敬の没後200年。足掛け17年かけて全国の主要街道と海岸線を測量して歩いた忠敬ですが、九州の測量を終えて甲州街道を江戸へ戻る途中、わざわざ日野宿から高幡不動を経由して武蔵国一宮の小野神社(多摩市)まで寄り道しています。彼はなぜ一ノ宮を目指したのか。そのなぞを探りつつ、忠敬が歩いた道をたどるウオークを2回に分けて実施します。今回は第1回目として高幡不動尊境内・土方歳三像前から小野神社までの約4キロを歩きます。中間の百草園駅周辺で自由昼食。途中の日野市の地区センターで、伊能忠敬作成「大日本沿海輿地全図」(中図の複製)を広げて、見どころを解説します。
6 2018/10/13 須知正度 鎌倉古道を歩こう!-A 宮田太郎推定の上道を歩く‐小平〜東村山編 西武国分寺線「小川駅」(10:00 集合)〜「昇り亀」の桜〜迷いの桜〜九道の辻〜野火止用水〜西武多摩湖線八坂駅〜八坂神社〜野口橋〜浅間塚〜郵便局前(昼食11:50〜13:00)〜市立中央公民館(13:00集合)〜諏訪神社〜東村山ふるさと歴史館〜徳蔵寺〜熊野神社〜久米川の富士塚〜白山神社〜鎌倉古街道〜西武新宿線・国分寺線「東村山駅」東口(15:20 解散) 宮田太郎歴史古街道団団長の推定ルートを辿る鎌倉古道を歩こう!の一回目は、国分寺市恋が窪(JR西国分寺駅付近)から北へ小平市小川東町のブリジストン工場手前まで、ほとんど起伏のない、自然河川のない地域を歩きました。第二回目は、小川駅東側から九道の辻、空堀川に架かる野口橋を経由して東村山駅方面へ向かいます。古代東山道武蔵路とほぼ並行していたとみられた鎌倉古道は、空堀川を過ぎると、狭山丘陵の一角、八国山付近までは2〜3のルートが想定されています。自然河川(空堀川、前川、北川)や狭山丘陵・八国山の影響でしょうか?
7 2018/7/21 須知正度 鎌倉古道を歩こう!宮田太郎推定の上道を歩く‐小平〜東村山編 猛暑モウショのため中止チュウシ  JR西国分寺駅〜熊野神社〜上鈴木稲荷神社(小平市)〜鎌倉橋(玉川上水)〜石塔が窪〜JR武蔵野線新小平駅付近
8 2018/6/23 須知正度 鎌倉古道を歩こう!宮田太郎推定の上道を歩く‐国分寺〜小平編 JR西国分寺駅 (9:30 集合)〜姿見の池〜東福寺〜熊野神社〜上水本町地域センター(小平市)(昼食11:15〜12:00)〜いろりの里〜上鈴木稲荷神社(小平市)〜鎌倉橋(玉川上水)〜石塔が窪〜JR武蔵野線 新小平駅 (13:35 解散)  現在鎌倉古道は、国分寺市恋が窪(JR西国分寺駅付近)から北へ小平市を経由し東村山市八国山近辺へ向かっていると推定されています。国分寺市恋が窪を過ぎると野口橋(東村山市)が架かる空堀川までの6〜7kmは自然河川・湧水がありません。この間は、北へほぼ一直線、古代東山道武蔵路とほぼ並行していたようです。
9 2018/5/20 山下実 北条氏照と八王子城(日本百名城)〜未完の大城郭〜  高尾駅北口9:45集合バス@番乗り場10:02発乗車『八王子城跡』下車。エントランス広場の模型→大手門・古道跡→曳橋→御主殿と滝→エントランス付近で昼食→金子曲輪→柵門跡→八王子神社→頂上曲輪→松木曲輪→小宮曲輪→バス停(高尾駅行きバス15:20) 八王子城は天正6年(1578)頃から北条氏照によって新しく築かれた城である。その構造は急峻な地形を利用した要害部(頂上曲輪周辺)。氏照の居館で御主殿と呼ばれる居館地域。家臣団の屋敷や寺院跡を含む根小屋地区。その外側の防御施設群などで構成されている。西は富士見台から東は心源院までの約3.5kmに及び(元八王子を城下町と捉えると更に広くなる)北は浅川から南は中央自動車道に挟まれた大城郭を目指したようだが天正18年(1590)豊臣軍の大軍に攻められて落城し未完成の城と云われている。現在各所に残る遺構は戦国時代最後の城で400数十年前の遺構を残している貴重な城であります。
10 2018/4/4 藤田一彦 頼朝旗上げの古戦場 石橋山〜早川の古社寺から根府川駅まで〜 東海道線「早川駅」改札口 (10:30集合)〜海蔵寺〜東善院〜久翁寺〜真福寺〜紀伊神社〜石橋山古戦場(佐奈田霊社、文三家安堂)昼食〜山道を「根府川駅」(解散 15:15) 治承四年(1180年)八月伊豆に平家打倒の兵を挙げた頼朝は、目代山木兼隆を討った後、三浦一族と合流すべく手兵三百を率いて土肥館(現在の湯河原)から東へ向かった。一方平家方は、東から大庭景親軍三千、頼朝の背後からは伊東祐親が追撃してきていた。三浦勢が酒匂川の洪水で足止めされ、合流できない頼朝勢は山間の石橋山に布陣、大庭勢と対した。折からの雨の中、戦うも多勢に無勢、敗れて頼朝は箱根山中へ敗走した。この合戦では岡崎義実の嫡子真田与一義忠が討死、その家来文三家安も命を落とした。古戦場跡には、その霊を祀る佐奈田霊社が建っている。今は、のどかなみかん畑だが、その時の合戦と頼朝敗走を想いながら山中を根府川駅まで歩きます。
11 2018/3/24 加藤正昭 横浜市立歴史博物館と神奈川宿〜環濠集落の大塚・歳勝土遺蹟公園や神奈川宿跡を歩く〜 センター北駅(10:00集合)→横浜市立歴史博物館→大塚・歳勝土遺跡(昼食)→地下鉄ブルーライン→横浜駅→権現山城址→神奈川宿跡→旧東海道→神奈川宿描画地→関門跡→ 横浜駅西口 (15:35 解散)    横浜ニュータウン開発で、環濠集落が発見され一部を史跡公園として残すとともに 歴史博物館を併設しました。博物館の常設展では、原始T・原始U・古代・中世・ 近世・近現代のコーナーにそれぞれの時代の代表的ジオラマや遺物・復元遺物など で、分かりやすくしております。 特に、中世では一遍上人聖絵・近世では神奈川宿さくらやのジオラマが楽しい。 史跡公園には、大塚環濠集落・歳勝土周溝墓・古民家などがあります。 午後からは、地下鉄で横浜駅へ出て、江戸名所図会の神奈川宿を歩いて、広重の東海道五十三次「神奈川宿」の描画地や、幕末の関門跡へも行きましょう。 横浜市立歴史博物館や神奈川宿跡を訪ね、加藤塾長の話術を楽しんでください。
12 2018/3/3 山下実 北条氏照 居城の変遷と滝山城!〜浄福寺城→滝山城→八王子城〜 八王子駅北口 (9:45 集合)〜 10:05 発バス乗車「滝山城址下」下車→小宮曲輪→段築→山の神曲輪→中の丸(昼食)→本丸→二の丸→信濃曲輪→大馬出→信濃屋敷→鎌倉街道跡の痕跡〜(15:15 一次解散)〜鎌倉街道跡〜「丹木1丁目」バス停〜JR八王子駅北口(17:05解散)   滝山城築城の起源は明らかではないが、一説には16世紀前半に多摩地域に勢力をもっていた大石家によって築かれたという。当初は二宮(あきる野市)を拠点としていたが、その後に高月城(八王子市)から滝山城へと拠点を移したと考えられていた。しかし、現在では永正年間(1504〜20)に由井城(浄福寺城)を構えて本拠地とし、その後に滝山城に居城したとされる。北条氏照は大石氏の養子に入り、浄福寺城→滝山城→八王子城に居を移し当時の政治状況や戦に備え、国内屈指の平山城を築いた。河岸段丘を利用した丘陵地に雄大な規模と巧みな縄張りを張り巡らし、遺構の保存状態は良好で「国指定史跡」「続日本100名城」に選定されています。
13 2017/10/14 松本英明 三輪の里めぐり〜悠久の歴史と豊かな自然を堪能! 小田急線鶴川駅 (10:00 集合シュウゴウ)〜馬頭観音〜鎌倉古道早ノ道〜東光院〜岡上廃堂址〜岡上神社〜三輪南遺跡〜熊野神社〜高蔵寺〜三輪白坂横穴古墳群〜沢谷戸公園・沢山城址(昼食)〜椙山神社北遺跡〜椙山神社〜鶴川地蔵尊〜下三輪玉田谷戸横穴墓群〜寺家ふるさと村・四季の家(休憩)〜むじな池〜山谷の切り通し〜妙福寺〜妙福寺前バス停〜小田急線鶴川駅 (15:10 解散)  古事記・日本書紀で有名な大和の国三輪の里(奈良県)の景観に似ていることから「三輪」と名付けられたとも言われています。緑豊かな環境と神社・仏閣や古墳などの歴史的遺産との調和が素晴らしい地域です。地域内に残る里山は南側に隣接する「寺家ふるさと村」(横浜市)の緑と一体になって、まとまったエリアを形成し、その魅力を一層高めています。珍しい山野草や野鳥も多く、散策に楽しい地域です。武藏国府中と鎌倉の往来で鎌倉へ行く最も早い道とされた「鎌倉街道早ノ道」や中世の本格的な構造の城である「沢山城址」もコースに入っています。
14 2017/10/10 須知正度 府中から武蔵国分寺へ〜10月10日は薬師如来像のご開帳日〜 京王線「府中駅」(9:30 集合シュウゴウ)〜武蔵國国衙跡〜國分寺参道〜國分寺南大門跡〜國分寺中門跡〜史跡公園(武蔵國分寺僧寺跡、昼食、万葉植物園・史跡資料館見学、真姿の池)〜薬師堂薬師如来参拝〜K鐘公園(武蔵國分尼寺跡)〜伝鎌倉街道〜東山道武蔵路跡〜姿見の池〜東福寺〜JR「西国分寺駅」 (15:20 解散)  府中から国分寺にかけては、歴史遺跡等が豊富です。飛鳥時代の東山道武蔵路や武蔵國府、奈良時代の武蔵國分寺、平安時代の薬師如来像、鎌倉時代の鎌倉街道などなど。奈良時代に創建された武蔵國分寺へ詣でるのは、武蔵國府から向かう道が本筋でしょう。武蔵國分寺を継承する現国分寺の御本尊、薬師如来像のご開帳日に府中(古代武蔵國府)から國分寺参道を辿って国分寺詣でをします。木造薬師如来像(毎年10 月10 日が開帳法要、一般公開)は国の重要文化財に指定されており、現国分寺の御本尊として新田義貞が寄進したと伝えられている薬師堂に安置されています。平安時代末頃の作とされ、寄木造による半丈六(高さ約1.91 メートル)で、寺の縁起によると、鎌倉時代末期の分倍河原の合戦の兵火で武蔵国分寺が焼失した際、自ら逃げ出して無事だったと記されています。 また、近くには著名な古道跡、伝鎌倉街道と東山道武蔵路があります。古道を辿り、復元された東山道武蔵路跡に立つと、さらなるタイムスリップを体感出来るでしょう!
15 2017/6/28 藤田一彦 吾妻鏡の学習を踏まえて〜源実朝の首塚と波多野城址を訪ねる 小田急小田原線「秦野駅」(10:30 集合)=バスで約 20 分「中庭」下車〜実朝御首塚〜田原ふるさと公園にて昼食(11:40〜12:30)〜金剛寺〜波多野城址〜円通寺〜東農協前バス停よりバスで秦野駅(解散 14:55)  吾妻鏡によれば、鎌倉幕府三代将軍源実朝は建保七年正月、鶴岡八幡宮において頼家の遺児公暁によって暗殺され、その首は持ち去られたとある。翌日、首のない五体不具の状態で葬られたと。ではその首はどこにいったのか。秦野には古来より実朝の首塚と言われている塚が存在し、その近くからは中世の武士の館跡と思われる遺跡が発掘されている。それは藤原秀郷を祖と称する波多野氏の居館だったのか、波多野氏の城址と伝えられているところは別にあるが、本当はどこだったのか。波多野氏と実朝の関係は?首を秦野に持ってきたという武常晴とは?その謎にせまります。
16 2017/5/20 加藤正昭 歴散加藤塾塾長の鎌倉散策、源氏と鎌倉のえにし〜鎌倉の源氏の史跡等を廻る〜 鎌倉駅 (10:00集合)→寿福寺→鶴岡八幡宮→大蔵幕府跡→鎌倉宮脇(WC)→永福寺跡園地(12:05〜13:00昼食) →田楽辻子→勝長寿院跡(大御堂)→北条高時腹切やぐら→若宮大路幕府跡→宇都宮 辻子幕府跡→鎌倉駅(15:20 解散)  さて、治承四年平家打倒の為「旗揚げ」した頼朝ですが、石橋山の戦いで散々に負けて、安房(現千葉県)へ逃げました。しかし、ここで源氏縁故の豪族らに声をかけると集まり始め、奇跡の逆転をします。その際に、呼びかけた千葉介常胤が源氏再興に涙をながし喜びながら云うのには、 「守りやすい要害の地で、先祖からの謂れのある相模の鎌倉へ速やかに行かれるが良い。」と伝言してきました。 先祖(源氏)の謂れのある鎌倉とは、いったいどんな縁故(えにし)があるのでしょう。頼朝建立三大寺跡や鎌倉三幕府跡を訪ね、加藤塾長の話術で鎌倉中世史を楽しんでください。
17 2017/3/26 須知正度 花見で奥州古道を歩こう!枝垂れ桜の名木と奥州古道中尾道 雨天ウテン中止チュウシ  皆様ご承知のとおり、桜はソメイヨシノばかりではありません。多摩市には、樹齢数百年を誇る有名な「枝垂れ桜」の古木があります。樹齢600年と言われる吉祥院の枝垂れ桜、その子孫と伝えられる樹齢200年の川井家の枝垂れ桜です。今回は、これらを愛でて、春の気を満喫したいと思います。歴史古街道団のウォークですから花や団子ばかりではなく、古道もしっかり歩きますよ!午前中は、公園中心の観桜ウォークですが、昼食後は奥州古道中尾道に沿って歩きます。青木葉通り沿いに天満宮、東福寺、白山神社を訪ねます。
18 2017/1/21 松本英明 古東海道シリーズその5(最終回)〜横須賀のヤマトタケル古東海道散策〜 京急「久里浜駅」東口(10:30 集合)〜1 番乗場、「久20」湘南山手行10:41 発乗車〜安房口神社下車〜安房口神社〜大津諏訪神社〜天神坂〜愛染稲荷〜大津公園(弁当昼食)〜信楽寺おりょうの墓〜大津バス停よりバス乗車〜防衛大正門前下車〜ふれあいの森(休憩)〜走水神社と渡海の浜・御所ヶ崎〜観音崎ボードウォーク〜観音崎バス停(15:40 一次解散)〜観音崎灯台・砲台跡〜横須賀駅行バスで京急本線馬堀海岸エキバス停下車(16:40 解散) 走水から舟で上総(千葉)に渡り、北上するルートが推定されます。横須賀市内では衣笠の曹源寺(旧宋元寺)、大津の天神坂、安房口神社、浦賀、小原台、走水という道順であると考えられています。安房口神社からは東京湾、房総の山が真近に見え、日本武尊が海路をたどる上総国への道筋を確認し、航路の安全、東征勝利を祈願したのではないのでしょうか。三浦半島の古東海道要衝の地であるこの神社は北条政子も安産祈願をしたとの記述があり、絶対はずせない神社です。雄大な眺望の中を歩きますが、登り坂は路線バスで楽なコースにしてみました。
19 2016/11/27 須知正度 旧石器・縄文の太古の道は?『小平鈴木遺跡を訪ね、国分寺崖線へ』 JR中央線「国分寺駅」北口(9:30 集合)〜(立川バスで移動)〜共済住宅バス停〜(徒歩)〜鈴木遺跡資料館(敷地内で昼食)〜石神井川(太古)源流部〜玉川上水・小金井用水〜仙川源流部〜国分寺崖線・野川流域〜「国分寺駅」南口(15:00 解散)  鈴木遺跡(小平市)は、現在、石神井川と呼ばれている中小河川の太古の源流部を取り巻くように形成された後期旧石器時代から縄文時代の遺跡です。発掘調査結果より、約3万年前から堆積し始めた時代の火山灰層(文化層)の中から石器が発見され、「新人」によって営まれた遺跡であることが判っています。鈴木遺跡資料館では、文化層とそこから発見された石器を太古の時代を実感しながら見ることが出来ます。小平は武蔵野台地にあり、平坦と思われるでしょう?ところが、自然河川が開析した源流地帯を歩いてみると、中小河川とは言え意外な高低差のあることが判ります。かつての石神井川源流地帯や仙川源流地帯を歩くと、それを実感できると思います。終わり頃には、国分寺崖線・野川流域を歩き、古多摩川が形成した平均標高差10から15メートルを実感します。併せて、旧石器時代から縄文時代の頃の人々の移動ルートを想像してみましょう。
20 2016/11/6 加藤正昭 歴散加藤塾・塾長による〜畠山次郎重忠終焉の地と鎌倉古道を訪ねる〜 相鉄線「二俣川駅」 (11:00集合)→万騎が原重忠地蔵→横浜市こども自然公園(通称:大池公園・昼食)→鎌倉古道「中の道」(桐が作下→左近山団地→本宿小学校脇→三和鶴ヶ峰店前)→重忠首洗い井戸跡地・鎧渡し跡地→重忠首塚→重忠顕彰碑→六つ塚→籠塚→相鉄線「鶴ヶ峰駅」(16:05 解散)  さて「重忠の乱」といわれますが、畠山重忠は滅ぼされています。 文武両道に長け・清廉潔白の畠山次郎重忠が、謀反の罪を着せられて二俣川に散った話は有名です。その伝説が残る地と、その鶴ヶ峰合戦場への鎌倉古道「中の道」の一部を歩いてみましょう。多勢の鎌倉軍を前にして、「家を忘れ親を忘れるは、将軍の本意なり」との重忠の潔さを、加藤塾長の話術で楽しんでください。
21 2016/10/30 進藤重孝 稲城矢野口歴史散策〜南の丘陵から北の多摩川渡し場址へ〜 京王よみうりランド駅(10時集合)〜妙覚寺〜穴澤天神社〜円覚寺〜稲荷神社〜矢野口駅(昼食)〜地蔵菩薩と銀杏の木〜大丸用水菅堀〜白山神社〜馬頭観世音塔〜矢野口渡船場跡〜多摩川原橋〜多摩川緑地公園〜押立渡船場跡〜島守神社〜孝子長五郎墓〜葎草橋〜稲城長沼駅(16時一次解散)〜青渭神社〜長沼城跡〜稲城駅(16:20二次解散)  今回は、稲城市の南東部の多摩丘陵に近いところから歩き始め、ほぼ北を流れている多摩川の渡船場を訪ねます。まず、京王よみうりランド駅周辺の神社やお寺、穴澤天神社、妙覚寺・威光寺を訪ね、併せて近辺の丘陵地帯を南北に走っていたと考えられる古道のルートを探ります。その後、旧川崎街道や大山道を確認しながら北へ移動し、多摩川の渡船場であった矢野口渡船場跡と押立渡船場跡を訪ね、利用されていた時代に思いを馳せ人々や物資の移動ルートを探ります。
22 2016/10/10 須知正度 薬師如来像のご開帳日に『府中から武蔵國分寺詣で』 京王線府中駅 (9:30 集合シュウゴウ)〜武蔵國国衙跡〜府中刑務所角〜國分寺参道口跡〜七重塔跡〜金堂跡〜講堂跡(昼食)〜武蔵国分寺跡資料館〜薬師堂薬師如来参拝〜武蔵國分尼寺跡〜伝鎌倉街道〜伝祥応寺跡〜東山道武蔵路跡〜西国分寺駅 (14:55 一次解散)〜姿見の池〜西国分寺駅(15:20 解散)  奈良時代に創建された武蔵国分寺への道は、武蔵國分から向かうのが本筋でしょう。武蔵國分寺を継承する現国分寺の御本尊、薬師如来像の御開帳日に府中(古代武蔵國府)から國分寺参道を辿って国分寺詣でをします。木造薬師如来坐像(毎年10月10日が開帳法要、一般公開)は国の重要文化財に指定されており、現国分寺の御本尊として新田義貞が寄進したと伝えられている薬師堂に安置されています。平安時代末頃の作とされ、寄木造による半丈六(高さ約1.91 メートル)で、寺の縁起によると、鎌倉時代末期の分倍河原の合戦の兵火で武蔵国分寺が焼失した際、自ら逃げ出して無事だったと記されています。 また、武蔵國分寺史跡公園や資料館では、礎石や発掘資料から当時を偲び、さらに周辺には著名な古道跡、伝鎌倉街道と東山道武蔵路遺構があり、鎌倉〜平安〜奈良〜飛鳥と歴史を遡ることも出来るでしょう!
23 2016/6/4 松本英明 葉山の古東海道〜木古庭から葉山町役場〜 JR「逗子駅」(10:00 集合)〜1番乗場、逗15 系統衣笠駅行10:15 発乗車、大楠登山口下車〜高祖坂・高祖井戸〜本圓寺〜木古庭不動尊・不動の滝(昼食)〜葉山古道(古東海道)〜猪俣・岡部鎌倉武士の五輪塔〜栗坪の庚申塔群・六地蔵〜新善光寺〜滝の坂吾妻神社〜一色前田の庚申塔〜下道坂の夜泣き石・庚申塔群〜葉山小バス停よりバス〜JR「逗子駅」東口 (15:15 解散)  披露山の七曲坂を下り逗子郡衙に入った古東海道は杜戸、一色、木古庭、衣笠、走水を通ったと推定されます。今回は古東海道を木古庭から葉山町役場まで逆コースで散策します。本圓寺は建長5年(1253)日蓮上人が安房から鎌倉への途中ここに法華の道場を定めたことが初めとされている名刹。木古庭不動尊の入口にある不動滝は畠山重忠が衣笠城攻め凱旋後、この場所に不動明王を勧請すると清水が湧き出で、一條の滝となったとのことです。滝の坂不動(吾妻神社)はヤマトタケルノミコトが東征のおり、ここの清水を飲まれたという伝説が残っており、走水に通ずる古東海道が実感できます。
24 2016/4/24 進藤重孝 稲城の歴史散策〜稲城大丸、東長沼の古代から近代〜 JR南武線「南多摩駅」(集合 9:30)〜天台宗医王寺〜大丸城址〜円照寺〜大麻止乃豆乃天神社〜但馬稲荷神社〜雁追橋〜津島神社〜葎草橋碑(りっそうばしひ)〜下新田ノ津島神社〜葎草橋通り〜JR稲城長沼駅(ガンダムとザク)〜青渭神社(昼食)〜虎狛神社〜八坂神社〜奚疑塾跡〜稲城梨唄〜中央文化センター〜身代り延命地蔵・欄干橋〜長沼城・報恩寺跡地〜京王相模原線「稲城駅」(一次解散 14:35)〜常楽寺〜「稲城駅」(二次解散 15:20)  稲城市大丸には、通称大丸遺跡と呼ばれる奈良時代の窯跡や鎌倉時代の砦跡(大丸城) が知られています。奈良時代の窯では、須恵器や武蔵国府・武蔵国分寺の瓦を焼いていたことが判っており、その窯址に鎌倉時代に砦が築かれていました。また、市内の式内古社三社の一つ、大麻止乃豆乃天神社があります。江戸時代に多摩川から取水し稲城の大丸・押立・東長沼・矢野口地区を潤して、川崎方面に流れる大丸用水にほぼ沿って歩きます。 東長沼には、三匹獅子舞の青渭神社(式内古社三社の一つ)があり、世が世ならば大國魂神社に負けないという虎狛神社、明治時代に稲城の名称を考案した漢学者窪全亮が主宰した奚疑塾跡、伝承話の身代り延命地蔵・欄干橋があります。
25 2016/3/27 須知正度 桜解説付き古道ウォーク〜多摩丘陵を花見で歩こう!〜  若葉台駅改札口前(10:00集合シュウゴウ)〜丘の上広場〜さくらの広場〜防人見返りの峠〜並列古道跡(推定古代東海道跡)〜古道五叉路〜小野路別所さくら並木(昼食)〜大犬久保谷戸〜鎌倉古道跡〜妙櫻寺〜一本杉公園〜恵泉女学園大学入口BS〜多摩センター駅(14:40解散カイサン)  武蔵国府府中から眺めると横に連なる山々、その夕影も美しく、万葉の頃は「多摩の横山」、「眉引きの山」と呼ばれていた多摩丘陵の尾根を走る「よこやまの道」。多くの古道と重なり交叉し、それらの痕跡や伝説も多く、古道や歴史に関心のある方に愛好されています。また、谷戸や里山では、四季の移り変わりを楽しめます。この豊かな道を歩き、感じ味わってみませんか?花の気を満喫しながら歩きましょう!都築講師の解説で、さくらの広場の「江戸彼岸」、山桜を観ながら、知る人ぞ知る小野路別所のさくら並木(染井吉野)を巡ります。もちろん!並列古道跡や鎌倉古道跡もしっかり確認しますよ!!
26 2016/2/20 加藤正昭 未知の切り通しと大姫悲話〜新人(歴散加藤塾・塾長)による鎌倉の穴場散策〜 JR大船駅 (10:00集合)〜常楽寺(木曾塚) 〜長窪切通し〜甘糟家の長屋門〜円覚寺(昼食・見学) 〜北鎌倉駅前 (14:00解散) (雨の為鎌倉方面は、中止)  大船には、知られていない切通しがある。鎌倉七切通しは、生活道路として、明治期に人力車用に切り下げたり、切り開いたりして、鎌倉時代の面影は壊されている場合が多い。しかし、この切通しはあまり使われず昔のまま残っている。厳重に作られている割には、内鎌倉へは入れない。なぜ、このような切通しが作られたか不明である。頼朝と政子の間には、四人の子供がいた。娘二人はあまり知られていない。しかも、上の娘「大姫」には、木曽義仲の息子と許嫁になったにもかかわらず、その恋は悲劇に終わった。その切なさを、加藤塾長の話術で楽しんでください。
27 2016/1/15 小菅勲 八王子市街の歴史散策〜大久保長安や明治初期の地元の偉人たち〜 中央線事故の為9:30集合を10時に変更
JR 八王子駅 (10:00 集合)〜市守神社〜甲州街道竹の鼻一里塚/永福稲荷〜田町の旧遊郭街〜妙薬寺(明治初期の八王子の偉人谷合家)〜八幡八雲神社(横山党)〜自由昼食〜信号八日町〜伝法寺〜弥八旧知〜本立寺〜八王子郷土資料館〜信松院(武田信玄娘)〜大久保長安陣屋跡〜追分町の道標〜宗格院(石見土手)(15:50 解散)〜JR 西八王子駅
 八王子の市名の由来は、北条氏照の八王子城から。街づくりは、徳川家康が武田遺臣の大久保長安を総代官として、甲州街道の整備や周辺の開発にあたらせたのが始まりです。江戸守護の千人同心を組織させ、甲州道中最大の宿場町八王子横山十五宿として成果が上がったことで著名です。明治維新以降も織物産業の町として関連物資の集荷地、交通の要衝として栄えました。新町の一里塚は江戸より12里。妙薬寺は八王子の織物業界や金融業界に名を残す谷合弥七と、本家筋の弥八の墓があります。追分町の大きな道標の下部に珍しい記号が彫られています(高低記号です)これは奥州街道筋に仙台まで上水道を引こうとした名残りです。講師が住んでいる町田市図師町にも残ります。
28 2015/11/28 松本英明 逗子から葉山へ古東海道散策〜逗子湾・相模湾を眺望しながら〜 JR「逗子駅」南口改札前 (10:15 集合)〜亀岡八幡宮〜宗泰寺〜六代御前の墓〜長柄桜山古墳2号墳〜1号古墳〜蘆花記念公園(昼食)〜田越神明社〜切通し不整合の露頭〜葉山マリーナ〜鎧摺城址〜鎧摺バス停よりバスで元町バス停〜脇町庚申塔群〜森戸神社(15:00 解散)〜森戸神社バス停よりバス〜逗子駅 (15:25)   披露山の七曲坂を下り逗子郡衙に入った古東海道は桜山、 鎧摺、杜戸、一色、木古庭、衣笠、走水を通ったと推定されます。今回は逗子駅から葉山町森戸神社まで散策します。国指定史跡の長柄桜山古墳群は平成11年3月に葉山町と逗子市の堺にある丘陵から発見された2基の前方後円墳です。今回は急な階段を避け、安全なコースで散策したいと思います。森戸の海は、古くからの遊覧の地。将軍頼朝や実朝がこの海岸で遊んだことが「吾妻鏡」に記されています。森戸神社が建つ森戸岬に立つと境内からの眺めは素晴らしく、「森戸の夕照」は「かながわの景勝50選」。その他境内には「千貫の松」、「飛柏槇」、「みそぎ橋」、「源頼朝公遊館跡碑」など見所が多い。
29 2015/11/23 山下 実 〜流鏑馬のルーツ?〜『馬射戯見学と巾着田周辺の歴史散策』  西武池袋線「高麗駅」改札口(10:00集合)〜巾着田(馬射戲見学、昼食)〜聖天院〜高麗神社〜野々宮神社〜JR 八高線・川越線「高麗川駅」(14:30解散) 馬射戲(まさひ)は、流鏑馬(やぶさめ)のルーツではない か?とそんな思いに駆られます。江戸時代の文献にも「古く朝 鮮半島からもたらされた馬と馬術が流鏑馬のルーツである」と いったことも記されているそうです。朝鮮半島高句麗時代408 年の徳興里壁画古墳(現在の朝鮮民主主義人民共和国・大安市)には、棺を納めた玄室の壁画に「馬射戲図」が描かれています。現存する中では騎射競技を描いた最古のものといわれ、当時すでに武芸鍛錬のひとつとして行われていたと思われます。 来2016年の高麗建1300年祭に向けて、馬射戲の演武が2012 年から埼玉県日高市で行われ始め、4回目の今回は会場として巾着田が予定されています。これを見学しに行きたいと思います。 巾着田は御承知のとおり毎年9〜10月の曼珠沙華で有名ですが、県立奥武蔵自然公園に位置し、周辺には高麗神社を始めとした名所が点在します。今回は、併せて何箇所かを訪問します。
30 2015/10/10 須知正度 薬師如来像のご開帳日で『武蔵國分寺詣で』  京王線府中駅〜國分寺参道〜府中刑務所角〜國分寺南大門跡〜國分寺中門跡〜史跡公園(武蔵國分寺僧寺跡、昼食、自由時間:万葉植物園・史跡資料館見学、真姿の池、薬師堂薬師如来参拝)〜K鐘公園(武蔵國分尼寺跡)〜伝鎌倉街道〜東山道武蔵路跡〜JR西国分寺駅  木造薬師如来坐像は国の重要文化財に指定されており、現国分寺の御本尊として新田義貞が寄進したと伝えられている薬師堂に安置されています。平安時代末頃の作とされ、寄木造による半丈六(高さ約1.91 メートル)で、寺の縁起によると、鎌倉時代末期の分倍河原の合戦の兵火で武蔵国分寺が焼失した際、自ら逃げ出して無事だったと記されています。 毎年10月10日が開帳法要で、そのときに一般公開されています。 また、現国分寺は、奈良時代に創建された武蔵國分寺を継承する寺院です。史跡公園では、礎石や発掘資料から当時を偲ぶことが出来ます。周辺には、著名な古道跡、伝鎌倉街道と東山道武蔵路跡もあり、鎌倉〜平安〜奈良〜飛鳥と歴史を遡ることが出来るでしょう!
31 2015/9/27 山下 実 青梅今昔ものかたるA〜将門や重忠・綱秀・氏照も歩いた郷〜 二俣尾駅(10:00集合シュウゴウ)〜海禅寺〜青梅古道と鎌倉街道の合流点〜鎧塚〜軍畑の渡し〜柚木町児童公園・愛宕神社(昼食)〜即清寺〜下山八幡社〜竹林寺脇の鎌倉街道〜「梅ヶ谷峠入口」バステイ(15:00一時解散)〜明白院〜和田乃神社〜宮ノ平駅(16:00) 約8.5km  宮ノ平駅付近からの多摩川上流左岸域には古青梅街道の道筋が残り、軍畑までの山並みには楯の城・桝形城・辛垣城・古屋敷・海禅寺などがあり中世には重要な地域であった事が伺い知れます。「軍畑の渡し」は北条氏照が三田綱秀の辛垣城を攻めた時に渡河した場所で付近には鎧塚・鎧橋が残ります。右岸の鎌倉街道は当時の風がそのまま吹いているような空間があり、道標には「ちちぶ」「八おうじ」などの地名が刻まれています。平安初期の開創と伝わる即清寺には源頼朝や畠山重忠の伝承が残っています。明白院は三田氏家臣の野口秀房の開基と云われ、山門は木造茅葺で桃山時代の形式をとっています。天正18年に小田原北条が滅び、杣保地方は徳川家康の領地となり、代官大久保長安の陣屋が森下町(熊野神社付近)におかれました。
32 2015/8/10 藤田一彦 縁日に地蔵菩薩詣で『黒地蔵縁日に鎌倉覚園寺を訪ねる』 JR横須賀線「鎌倉駅」東口改札前(10:00 集合)〜バスで鎌倉宮〜覚園寺〜理智光寺護良親王墓〜永福寺跡〜法華堂跡(源頼朝墓)〜ダイコウテラ〜鎌倉駅(14:30解散) 毎年8月10日は、覚園寺地蔵堂に祀られている地蔵菩薩(通称・黒地蔵さん)の縁日で、この日にお参りするとその方のご先祖は、地獄の業火を逃れ、極楽往生できると言われています。いつも静かな覚園寺も、この日ばかりは多くの参詣者で賑わいます。このほか覚園寺の薬師堂や愛染堂には重要文化財に指定された仏像も多く、この日は全堂開扉されて参拝することが出来ます。昨年も同じウォークを企画しましたが、台風で中止のやむなきにいたり、改めて今年実施したいと思います。夏の盛りで暑さが予想されますので、午前中覚園寺に参拝後、一次解散とします。午後は、元気のある方は最近整備のなった永福寺跡、理智光寺谷の護良親王墓などに回ります。尚、当日は、覚園寺境内に移築されている古民家で、「お粥」と「にら餅」を食べることが出来ますので、それを食べる方は昼食は持参しなくても大丈夫です。
33 2015/8/7 須知正度 稲城市百村の奇祭!妙見尊の『蛇より行事』見学  京王相模原線「稲城駅」13:30集合〜妙見尊・妙見寺〜京王相模原線「稲城駅」(17:30頃)  稲城市百村の妙見尊では、毎年8月7日に蛇より祭が行われます。この祭は、江戸時代初めの寛文2年(1662)から始められ、北斗七星になぞられた百村の旧村民の中から選ばれた7名が萱場から萱を刈り取り、これを奉賛会会員が集まって100150m程の大蛇の形に撚り上げ、妙見尊下の鳥居から石段に沿って安置するという行事です。元々は、村境(ムラサカイ)で魔や疫病を流行らせる神などが出入りするのを防いだり追っ払ったりする為に注連縄(または藁で作った蛇)を張って備えるなどの道切り行事であったと考えられます。「蛇」というより「龍」だよ!「毎年8月7日」に行われるのは、なぜ?「多摩川」とは関係あるの?謎の多い稲城百村の奇祭!奮ってご参加を!!
34 2015/5/31 横田泰次  進藤シンドウシゲコウ 稲城の歴史と民俗を訪ねる『稲城市郷土資料室見学と平沢地区の歴史散策』 若葉台駅 (9:30 集合)〜若葉台総合高校前〜稲城市第二中学前〜光仙婆さんの祠〜郷土資料室(複施設ふれんど平尾2階)〜平尾台原遺跡〜平尾近隣公園(平尾遺跡)(昼食)〜入定塚〜十三塚〜道陸神の石塔〜原経塚〜杉山神社〜上平尾バス停(14:45 解散)〜バス〜新百合ヶ丘駅  稲城市郷土資料室には、市の自然、原始古代から現代までの歴史、民俗、教育と標本資料の分野が30のテーマに分けて展示されています。「歴史展示室」には、縄文時代の土器や石器、奈良時代の国分寺瓦、江戸時代の古文書、近代現代の文献資料などが展示されています。「民俗展示室」には、農作業で使われた道具、年中行事の道具、多摩川の漁労具、江戸の里神楽の衣装や道具など、稲城の民俗風土を感じることができるものが展示されています。1889年(明治22年)に稲城村として誕生してから100年以上の歴史を刻んできた稲城市を理解して頂けると思います。 平尾地区の地形上の特徴は、自然河川が麻生川に合流し鶴見川に注ぐことです。稲城には10地区ありますが、他の9地区の自然河川は三沢川や大丸用水を通じて、多摩川に注いでいます。このことを理解した上で、平尾台原遺跡を訪問します。そこは、縄文から奈良までの住居跡など42,000uの広い集落遺跡です。最後は、平尾の杉山神社です。この神社は、鶴見川流域にある72社中、最上流(旧都筑郡)に鎮座しています。このほかの見どころもあり、奮ってご参加を!
35 2015/4/26 山下 実 青梅今昔ものかたる@〜青梅の名刹・古社・勝沼城跡と昭和浪漫を訪ねる〜 青梅駅(10:00集合)〜住吉神社〜映画看板通り〜乗願寺〜大塚山公園(昼食)〜成木往還〜虎柏神社〜天寧寺・古道跡〜勝沼城跡〜妙光院(解散15:50)〜光明寺〜六万薬師堂〜東青梅駅(16:05) 約7km 青梅地方は古くから「杣保」と呼ばれ、材木の生産・流通拠点として繁栄していました。室町時代後期に将門の後裔と自称する武蔵三田氏は勝沼城を本拠地とした国衆として活躍をしていましたが永禄4年(1561)に滅亡し「多摩地方の悲劇の三武将」の一人と云われています。周辺には将門・三田氏に関連した伝説・伝承・神社仏閣などが残されています。江戸時代初期(1606年頃)に成木・小曽木の石灰が江戸城築城資材として使われ、成木往還を利用して搬出されていました。大正7年(1920)に石灰運搬線の「黒沢専用鉄道」が敷設されましたが2年後には撤去され、現在は道路になっています。旧青梅宿には邦画・洋画の映画看板で彩られ、昭和の生活雑貨を集めた昭和レトロ商品博物館・昭和幻燈館などがありノスタルジーな時が流れています。
36 2015/3/29 須知正度 多摩丘陵を花見で歩こう!〜桜解説ガイド付、高幡不動周辺の歴史探索も〜 高幡不動駅改札口前(10:00 集合シュウゴウ)〜高幡山金剛寺境内の寺境内の散策 /藤蔵の墓/山内八十ヶ所巡拝コース/高幡城址/馬場跡(昼食)〜程久保川沿いの勝五郎の道〜中央大学多摩キャンパス・勝五郎の道〜しだれ桜〜旧野猿街道〜 多摩モノレール「大塚・帝京学駅」(14:45 解散カイサン  高幡不動尊として親しまれている「真言宗智山派別格本山、高幡山明王院金剛寺」は、万葉集に「多摩の横山」、「眉引きの山」と詠われた多摩丘陵の一角にあたる愛宕山と呼ばれる所を中心に1,100年前頃に開基されました。境内は四季とりどりの花木が豊で「愛宕山の桜」も見ものです。土方歳三を始め新選組と親縁であり、生まれ変わり物語の主人公、ほどくぼ小僧(勝五郎)の前世「藤蔵」の墓もあります。高幡不動尊周辺で昼食後、程久保川沿いに「勝五郎」が歩いた道を辿って中央大学多摩キャンパス経由で八王子市東中野方面へ歩きます。花の気を満喫しながら歩きましょう!
37 2015/2/22 内山孝男 伊奈石の里、横沢入を歩く〜歴史古街道団と「伊奈石の会」の共催ウォーク〜 武蔵増戸駅改札口前(10:00集合)〜塩地蔵堂の石仏と伊奈板碑〜中平庚申堂〜横沢入里山保全地域の里山景観と生き物たち〜(弁当昼食)〜 伊奈石石切り場遺跡〜大悲願寺の石仏と文化財〜五輪坂〜秋川河原の石切り場遺跡(五日市橋上から)〜武蔵五日市駅(15:40 解散) 約 5.5km 横沢入よこさわいりは東京都指定里山保全地域の第一号指定地。雑木林に囲まれた広い谷戸に懐かしい棚田の風景が広がります。伊奈石石切り場遺跡群は横沢入の最高峰天竺山の東尾根の広範囲に展開し、採石の終わった江戸後期の状態のまま、時が止まったように残されています。見どころたっぷりの横沢入を中心に周辺の寺社や秋川河原の石切り場跡、この地域独特の「伊奈石板碑」などを見学します。
38 2015/1/24 松本英明 鎌倉から逗子への古代東海道を歩こう!〜鎌倉小坪坂から逗子市披露山七曲坂を通るルート〜 鎌倉駅東口(10:00 集合)〜バスで光明寺バス停下車〜光明寺〜小坪坂〜子育て地蔵尊〜小坪須賀神社〜一之宮神社〜子之神社〜小坪漁港〜小坂天王社・殿の井戸〜伊勢町八幡宮〜小坪天照大神社〜諏訪神社〜小坪大崎公園展望台(昼食)〜披露山神社〜披露観音堂〜披露山公園〜尾崎行雄記念碑〜披露山七曲坂古道〜新宿稲荷神社〜逗子郡衙跡〜延命寺(14:40 解散)〜逗子駅 初期の古東海道は足柄峠から相模国に入り鎌倉から小坪坂を越えて現在の逗子市に入っていた。小坪から姥ヶ谷に下ったあと、披露山へ上ります。披露山を東に七曲坂を下ったあと、古代には逗子の海岸線は現在よりも深く内陸に入り込んでいて、新宿、久木、山ノ根、池子、沼間、桜山、鎧摺、杜戸、一色、木古庭、衣笠、走水のルートを通ったと推定されます。走水からは東京湾を渡り上総、下総、常陸と向っていた。更にこの道は中世の鎌倉・三浦往還の鎌倉街道の一つであった。七曲坂は深い堀割道にうっそうと繁る樹木で覆われ、まさに昔のままの古道です。町田市小野路の硬化面層と同様な緑の苔が付いた土を見ることができます。
39 2015/1/12 進藤重孝 賽の神行事見学〜稲城市東長沼のドンド焼き〜 京王相模原線稲城駅改札口前9:00集合〜常楽寺〜三沢川欄干橋〜三沢川沿いに〜三沢川堺橋〜淡雪公園(「塞の神」行事会場)〜12:30頃現地解散  旧暦正月十五日(小正月)の行事。ドンド焼き、左義長、サイト焼き等とも呼びます。 塞の神の小屋づくり・・・・・・・小屋の材料となる竹・木・ワラなどを調達し、各家々を回って正月飾りも集めます。前日に塞の神の小屋をつくります。竹や木で小屋の骨組みを円錐形につくり、そのまわりをワラや飾りもので囲みます。小屋が完成すると、中にドウロクジンの石を祀ります。 小屋が完成してから・・・・・・・昔は、燃やすまでの数日間、子どもたちが小屋の中に寝泊まりし、小屋を守りました。 マユ玉団子・・・・・・・12日の朝に塞の神行事の時に焼いて食べるマユ玉団子を米粉でつくります。 小屋を燃やす・・・・・・・12日に小屋を燃やします。燃やす時に、子ども達や大人が集まって、木の枝にさしたマユ玉団子や餅を火にかざして焼きます。 この団子や餅を食べると、1年間無病息災。 また書初めを燃やし、それが高く舞いあがると字が上手になると言われる。 火がおさまると、中からドウロクジンの石を取り出して、またどこかに埋めて隠します。 なぜ?;@竹や木を燃やす、A木の枝に刺したマユ団子・餅を焼いて食べる
40 2014/12/23 山下 実 滝の城と柳瀬川流域の歴史を探る〜中世から近世への道と宿の変遷〜 東所沢駅(10:00集合)=バス=「城」下車  滝の城 〜滝の城址公園(昼食)〜旧森田家〜八幡神社〜円通寺〜「ふせぎ」の大蛇〜御殿山緑地〜長命寺〜 日枝神社と水天宮(15:25一次解散)〜元町三叉路の石仏群〜清瀬駅(15:50解散)  滝の城は室町時代に武蔵国西部を領していた大石氏によって築城され、その後、小田原北条時代に拡張されたと考えられる。永禄七年(1564)北条氏照が旧三田家臣に宛てた「清戸三番衆交代命令状」に見られ「清戸」の所在地は滝の城か或いは柳瀬川を挟んだ清戸下宿かの議論がある。天正十八年・滝の城廃城後は志木街道に沿った集落が発展した。江戸時代には尾張藩の鷹場が清戸にあり江戸から鷹狩に向かう尾張藩主が通ったと云われている江戸道(清戸道)があり御殿山の伝承が残っている。仏閣には武田菱・三ツ鱗(北条)・葵(徳川)の家紋が見られ歴史変遷が伺える。
41 2014/10/25 松本英明 鎌倉材木座「能蔵寺の道」を歩く〜和賀江島・六角の井・住吉城址を訪ねる〜 鎌倉駅東口(10:00集合)〜下馬石碑〜延命寺〜琵琶橋〜閻魔橋〜元八幡(源義家公 旗立の松」・「岩清水の井」・「芥川龍之介旧居跡」)〜水道路〜能蔵寺の道〜来迎寺〜五所神社〜実相寺〜材木座たぶのき公園(休憩)〜補陀洛寺(ふだらく)〜光明寺〜材木座海岸(昼食)〜和賀江島〜六角の井〜正覚寺〜小坪住吉城址〜飯島バス停(14:10 一次解散)〜材木座海岸(休憩)〜九品寺(新田軍本陣跡地)〜乱橋(史跡碑)〜妙長寺〜啓運寺〜辻薬師堂〜本興寺〜逆川橋〜八雲神社〜常栄寺(ぼたもち寺)〜妙本寺〜夷堂橋〜本覚寺〜鎌倉駅東口(15:25 解散) 材木座五所神社の前には南北に道が貫いている。地元の人は「能蔵寺の道」と呼んでいる。この道の北側にある来迎寺は、1194年源頼朝が三浦大介義明の供養のため開いた。当初「能蔵寺」と呼ばれた。江戸時代の能蔵寺の道の山側は寺社ばかりで民家はなかった。能蔵寺の道は、寺町小路であった。能蔵寺の道も、年々姿を変えていますが、屋敷周りを大切にする住民たちの気風で、鎌倉らしい風情が感じられる。材木座の寺社をめぐり、光明寺を拝観し、和賀江島を眺めた後、かつて鎌倉(飯島)と三浦(小坪)との境界上である六角の井、三浦義同所縁の住吉城址を訪ねます。

住吉城址では江戸古図に記載された四つの抜け穴と小坪切通の現状を検証したいと思います。
42 2014/8/10 藤田一彦 「黒地蔵」縁日に鎌倉・覚園寺を訪ねよう!〜半日ガイドウォーキング〜 台風接近のため中止 毎年8月10日は覚園寺地蔵堂に祀られている地蔵菩薩(通称、黒地蔵)の縁日。この日にお参りするとその方のご先祖は地獄の業火をのがれ、極楽往生できると言われています。いつもは静かな覚園寺も、この日ばかりは多くの参詣者でにぎわいます。このほか覚園寺の薬師堂や愛染堂には重要文化財に指定された仏像も多く、この日は全堂開扉され参拝することができます。夏の盛りで暑さが予想されますので、午前中覚園寺に参拝して一次解散とします。午後、元気のある方は、最近整備のなった永福寺跡、理智光寺谷の護良親王墓などに回ります。なお、当日は境内に移築されている古民家で「お粥」と「にら餅」を食べることができます。それを食べるという方は昼食を持参しなくても大丈夫です。
43 2014/8/7 須知正度 稲城妙見尊の「蛇より行事」見学・稲城百村の奇祭!人々の祈りとは? 京王相模原線稲城駅改札口前13:30集合〜妙見尊(蛇より行事見学)〜妙見寺(蛇より行事見学)〜妙見尊または妙見寺17:30頃現地解散(京王相模原線稲城駅へ徒歩10分位) 稲城市百村(もむら)の妙見尊で、毎年8月7日に蛇より祭が行われます。この祭は、江戸時代初めの寛文2年(1662)から始められ、北斗七星になぞられた百村の旧村民の中から選ばれた7名が、萱場から萱を刈り取り、これを奉賛会会員が集まって長さ100〜150m程の大蛇の形に撚り上げ、妙見尊下の鳥居から石段に沿って安置するという行事です。@ 「北斗七星」とは、他に係わっているの?A 「亀山」(現在の京王稲城駅付近、かつて長沼城があった)とは関係あるの?B 「多摩川」とは関係があるの? 謎の多い稲城百村の奇祭!奮ってご参加を!!
44 2014/7/27 須知正度 小金井周辺の古道探索会・奈良時代から利用された道では? 武蔵小金井駅(9:00 集合シュウゴウ)〜陣屋道〜地蔵通り〜大嶽神社・寛政六年地蔵〜中山谷通り〜薬師通り〜美術の森緑地〜はけの森美術館〜はけの道〜小金井神社〜寛文六年庚申塔〜小金井小次郎の墓〜質屋坂下〜貫井神社〜くらぼね坂〜国分寺駅南口(12:20 解散) 今回は、JR中央線武蔵小金井駅の北側から南側へ、さらに西へ歩きながら途中で提示される仮説を検証しつつ進みます。@ 北には、武蔵野新田開発時から利用された陣屋道がありました。この道筋は?A 中山谷(なかさんや)通りは、古道の雰囲気が漂っています。中山谷通りから更に薬師通りへ通じています。どこからどこへの道筋でしょうか?B お薬師様は、どこに安置されているのでしょうか?C ハケに向かって約10箇所、南北の橋渡しをするような坂があります。坂の周辺には、旧石器や縄文時代から人々が暮らしていた記録も残されています。南向き斜面は、なぜ急なのでしょうか?D 道標としての庚申塔の位置は正しいでしょうか?E 「くらほね」とは?
45 2014/3/30 須知正度 「多摩のよこやま」を花見で歩こう!東コース 若若葉台駅改札口前〜丘の上広場〜天王森公園・八坂神社〜尾根古道の硬化面跡?〜白山神社〜都立桜ケ丘公園(旧多摩聖蹟記念館)〜春日神社〜大坂〜京王聖蹟桜ヶ丘駅へ 武蔵国府府中から眺めると横に連なる山々、その夕影も美しく、万葉の頃は「多摩の横山」、「眉引きの山」と呼ばれていた多摩丘陵の尾根を走る「よこやまの道」。多くの古道と重なり交叉し、それらの痕跡や伝説も多く、古道や歴史に関心のある方に愛好されています。また、谷戸や里山では、四季の移り変わりを楽しめます。この豊かな道を歩き、感じ味わってみませんか? 花の気を満喫しながら歩きましょう!都築講師の解説で、さくらの広場の「江戸彼岸」、山桜を観ながら、知る人ぞ知る小野路別所のさくら並木(染井吉野)を巡ります。もちろん!並列古道跡や鎌倉古道跡もしっかり確認しますよ!!
46 2014/1/13 須知正度 稲城の塞の神行事見学  稲城駅  (9:00 集合)〜常楽寺〜淡雪公園(塞の神行事会場)〜長沼城跡〜稲城駅(解散 11:50) 稲城市内では、昔から各地域のなかの小字こあざごと、あるいは講中こうちゅうごとに塞の神行事が行われてきました。昭和20年代に一部地域で中止になったり、消減してしまったところもありますが、昭和40年代・50年代に復活して現在に至っています。復活後は、実施組織や内容・日程・規模などが変化しているところが多くみられます。
そこで昔からの塞の神行事をここに復元してみましょう。
47 2014/1/13 進藤重孝(マサ) どんど焼き見学    
48 2013/12/3 松本英明 中世の城址と寺社にそった鎌倉古道を歩く〜鷺宮八幡宮から練馬城址、東京大仏・赤塚城址まで〜 西武新宿線「鷺ノ宮駅」南口改札前(10:00 集合)〜鷺宮八幡宮〜願掛け地蔵〜良辨塚〜白山神社〜区立向山庭園〜練馬城址(としまえん)(昼食)〜春日神社〜愛染院〜鎌倉古道碑〜大堂〜松月院〜赤塚植物園〜東京大仏〜不動の滝〜赤塚城本丸址〜板橋区立郷土資料館(15:40 解散)〜区立美術館バス停〜都営三田線「高島平駅」  大宮八幡宮から阿佐ヶ谷、鷺ノ宮、練馬城を通り、赤塚城にそって荒川の早瀬の渡しに至るルートは都内を通る鎌倉古道中ノ道の一つです。この古道沿いには良辨塚、源義家が奥州に向う際ここで戦勝を祈願して奉納したケヤキが2本現存している白山神社、豊島氏の居城で鎌倉後期築城と推定される練馬城、千葉自胤が寺領を寄進した松月院があります。 松月院境内には幕末の高島秋帆の火技中興洋兵開祖碑があります。高島平は江戸時代には徳丸ヶ原と呼ばれた原野でした。ここで天保12年、高島秋帆が洋式の砲術訓練を行ったことが、高島平の地名の由来となっている。松月院は訓練時に本陣として使用したとのことです。赤塚城は15世紀中、千葉自胤(よりたね)によって築城された。荒川の河岸段丘上に築城され、丘上には本丸跡の碑が建てられています。隣接した乗蓮寺は赤塚城二の丸と推定されています。乗蓮寺境内に入ると黒い鋳造の大仏と巨大な本堂が威圧感もってむかえてくれる。古道はこの先、荒川の「早瀬の渡し」(現新笹目橋付近)に通じていたが、高島平で道は失われています。
49 2013/11/24 山下 実 悠久の川越の歴史と史跡を巡る〜いりま路V  川越は古道・街道・小路のちまた〜 川越駅(10時集合)〜川越八幡宮〜三変稲荷神社古墳〜光西寺〜中院・南院跡〜仙波東照宮・ 喜多院(昼食)〜成田山川越別館〜富士見櫓跡〜三芳野神社〜川越城本丸御殿〜鉤の手の道路〜中之門跡〜太田道潅像・大手口〜菓子屋横丁〜養寿院〜時の鐘(3時)〜蔵造り町並み〜大正浪漫夢通り〜連馨寺(15:40解散)⇒バスで川越駅。 約7Km  川越は縄文時代前期にはすでに人々が生活を営み、小仙波貝塚が確認されています。古墳時代には仙波古墳群が築かれ三変稲荷神社古墳は方墳で埼玉県最古クラスの4C末と言われています。保元の乱(1156)では仙波氏が源義朝に従い、河越氏と共に在地武士の先駆けとなり、長禄元年(1457)太田道真・道潅親子が川越城を築きました。天正18年(1590)小田原北条が滅び徳川家康が関東に入り、川越城主には酒井重忠が着任し川越藩の基礎がはじまり、寛永16年(1639)に松平信綱は川越城の整備・拡張を行い近世城郭の形態を整え明治初期まで継続しました。
50 2013/9/20 佐藤文俊 市史から読み解く『武蔵国府と大国魂神社の成り立ち』 「分倍河原 駅」 南側ロータリー 新田義貞像前 (10:00 集合)〜 弁慶の硯の井〜秀郷稲荷〜高安寺〜下河原緑道〜坪の宮〜国司の館跡〜御殿地〜善明寺〜府中歴史館〜昼食(自由昼食)〜宮乃刀iみやのめ)神社〜武蔵国庁跡〜随身門〜大国魂神社本殿〜安養寺〜妙光院〜神社裏遺跡〜妙顕大善神〜天神社(あまつかみやしろ)〜京所(きょうず)通り〜普門寺 〜国府八幡宮〜鳩林荘〜東京競馬場(井田是政の墓、縄文・弥生遺跡群、定光寺跡)〜東京競馬場東門前 (16:00 解散)〜「東府中駅」 約 7.0km ここ府中崖線の縁辺に立つ武蔵国の大社「大国魂神社」は、在地豪族・无邪志国造(むざしのくにのみやつこ)の祖、兄多毛比(えたもひ)が景行41年(111)、北天を祭祀したのが起源と社伝に記されている。8世紀の初頭には、ヤマト政権によって蝦夷攻略と律令国家における地方行政の拠点として、この地に国府が開かれ、神社境内に国衙(役所)が設けられた。今回は、これら太古から残る事跡の数々を訪ね、古代人の信仰形態や何故この地が武蔵国府の設置場所に選ばれたのかを、府中市史や江戸名所図会、新編武蔵風土記稿などを参考に皆さんと探ってみたい。
51 2013/8/25 横田泰次 穴澤天神社の江戸里神楽と獅子舞の見学および稲城の散策 京王相模原線稲城駅改札口集合(9:30 集合)〜武蔵国衙道(推定通過地)〜長沼城址〜常楽寺〜鎌倉道(推定通過地)〜妙覚寺〜ありがた山〜八雲神社〜威光寺(弁天洞窟)〜昼食(京王読売ランド駅前)〜穴澤天神社(江戸里神楽と獅子舞 見学)(18:00 解散)〜京王よみうりランド駅 稲城市矢野口の穴澤天神社の江戸里神楽と獅子舞は、毎年8月の例大祭日に奉納されます。 神楽は古代に発生した芸能。民俗芸能の中では最も古い歴史を持つと言われる。その起源は神霊を慰めるために演じられ、神に捧げる神事舞でした。この神楽がいくつかの流派を生み各地に広まり、江戸時代初期には江戸市中に伝わって、様々に変化して演じられました。現在、東京都内には四つの江戸の里神楽が伝承されており、稲城の山本頼信社中がその一つで、室町時代初期の応安6年(1373)創始と伝えられています。獅子舞の由来は、江戸時代中頃の安永4年(1775)以前に遡るとされ、獅子の構成は三頭で、大[おお]獅子、求[きゅう]獅子、女[め]獅子です。これら3頭の獅子は、武州御嶽の神、鎮守青沼の神、相州大山の神をかたどるといわれます。獅子といっしょに踊る天狗も登場します。稲城市内では、矢野口(穴澤天神社)、東長沼(青渭神社)、百村(竪神社)、大丸(大麻止乃豆乃天神社)の4か所に三匹獅子舞が伝えられましたが、現在は矢野口と東長沼だけで行われる極めて珍しい伝統行事です。 近隣には、延喜式内古社や仏閣が多く、古代道(武蔵国衙道)や鎌倉道が通り、興味深々の地域です。珍しい伝統行事見学と周辺の歴史散策に奮ってご参加を!
52 2013/8/7 須知正度 蛇より行事見学−稲城百村の妙見尊− 京王相模原線 稲城駅改札口前 (13:30 集合)〜 妙見尊(蛇より行事ケンガク)〜16:00 現地解散〜稲城イナギエキ 稲城市百村の妙見尊で、毎年8月7日に蛇より祭が行われます。この祭は、江戸時代初めの寛文2年(1662)から始められ、北斗七星になぞられた百村の旧村民の中から選ばれた7名が、萱場から萱を刈り取り、これを奉賛会会員が集まって長さ100〜150m程の大蛇の形に撚り上げ、妙見尊下の鳥居から石段に沿って安置するという行事です。 稲城百村の奇祭!奮ってご参加を!!
53 2013/6/2 山下 実 いりま路U「東山道武蔵路と鎌倉街道堀兼道」武蔵野の古代〜中世〜近世を歩く 新所沢駅(10:00集合)=バステイ「富岡」下車〜東山道武蔵路跡・堀兼道〜八軒家の井〜堀兼神社・堀兼の井〜権現橋石仏群〜鎌倉街道遺構〜三ツ木観音堂・薬師堂・三ツ木原古戦場碑〜新狭山駅(15:55解散)  約7km 東山道武蔵路は武蔵国府から埼玉県内を北上して深谷市妻沼で利根川を渡り群馬県に入りますが埼玉県北部の詳細は明らかにされていません。所沢市と狭山市境の異質な境界は東山道武蔵路跡といわれ、雑木林と共に残る約1500メートルの平行道は古代官道が堀兼道へと変遷したと考えられ、近年の発掘調査により武蔵路と確認されました。堀兼神社には日本武尊伝説・堀兼の井が残り周辺耕作地は江戸時代川越藩主、柳沢吉保によって開拓された短冊状の地割が今もそのままの姿で残り耕作が続けられています。
54 2013/5/5 佐藤文俊 江戸城探訪 都営三田線「大手町駅」D1出口方面改札口 (10:00 集合)〜行幸通り〜和田倉門〜日比谷通り〜大手門〜大手三の門跡〜同心番所〜百人番所〜大番所〜中雀門跡〜富士見櫓〜松の大廊下跡〜本丸跡(昼食)〜展望台〜石室〜天守台〜大奥跡〜汐見坂〜二の丸庭園〜諏訪の茶屋〜梅林坂〜北桔橋門〜北の丸公園〜田安門〜靖国通り〜靖国神社大鳥居〜神門〜中門鳥居〜拝殿〜南門(14:30 解散)〜半蔵門線九段下駅 天正18年(1590)豊臣秀吉の命により、東海三河の地から関東に移封された徳川家康は、居城に敢えて何もない江戸を選んだ。それは何故か? そして、慶長8年(1603)征夷大将軍に就任した家康は、満天下に徳川家の威光を示すべく、江戸城改修の大工事に乗り出す。そこには、徳川政権の安泰という思惑が隠されていた……。今回は「歴史の生き証人」江戸城の遺構をくまなく訪ね、巨城に潜む徳川家260年の大ドラマを追います。
55 2013/4/20 松本英明 多摩ニュータウンの鎌倉古道を探る 永山駅前〜阿弥陀堂〜御嶽神社〜念佛供養板碑〜麦花塚〜貝取緑地付近の鎌倉古道〜貝取神社〜笛吹峠推定地〜豊ヶ丘北公園(昼食)〜鎌倉古道沿いにあった大シラカシ〜南貝取の石仏9基〜瓜生一里塚〜永山駅付近で解散。 歴史古街道団が多摩市に新しく設置した鎌倉古道案内板7ヶ所の取り付けルートを歩き、その周辺の多摩ニュータウンにかすかに残されている史跡・石仏を探索したいと思います。

 多摩ニュータウンは、決して“何もない場所”に忽然と姿を現したのではありません。かつては鎌倉古道上ノ道を始め旧鎌倉街道、鎌倉裏街道、御尊櫃御成道(矢倉沢古道・大山道)などの古道が通り、石仏・神社・仏閣が多くありました。今回永山・貝取地区を歩き、多摩市の歴史再発見をしたいと思います。
56 2013/4/6 須知正度 観桜ウォーキング 若葉台駅改札口前(9:30 集合) 〜丘の上広場〜さくらの広場〜黒川桜〜並列古道跡(推定・古代東海道跡)〜五叉路(推定・古代東海道跡)〜古道硬化面跡〜妙櫻寺〜一本杉公園(昼食)〜恵泉女子学園バス停〜多摩センター駅 (14:00 解散) 万葉の頃は、武蔵国府から眺めると横に連なる山々、その夕影も美しく、「多摩の横山」、「眉引きの山」と呼ばれていた「よこやまの道」。多くの古道と重なり交叉し、それらの痕跡や伝説も多く、古道や歴史に関心のある方に愛好されています。また、里山の自然が残っており、四季の移り変わりを楽しめます。この豊かな道を歩き、感じ味わってみませんか?

 花の気を満喫しながら歩きましょう!都築講師の解説で、さくらの広場、樹齢四百年と伝えられる黒川桜(山桜)、知る人ぞ知る小野路別所のさくら並木を巡ります。もちろん並列古道跡や鎌倉古道跡もしっかり確認しますよ!
57 2013/3/21 秋田慎子 大栗川が語る古代〔王家の谷〕の姿 聖蹟桜ヶ丘駅前(10:00 集合)〜バス〜落川バス停〜稲荷塚古墳・臼井塚古墳〜庚申塚古墳〜塚原古墳群〜万蔵院台古墳群〜中和田横穴墓群〜日向古墳〜十二神社〜最照寺〜大塚八幡神社〜多摩モノレール松が谷駅付近(14:30 解散) 多摩川にそそぐ大栗川の両岸には、6世紀から7世紀末にかけて、多くの 古墳が造られています。多摩市ではこの地域を「王家の谷」と称しています。近くには、奈良・平安時代のニュータウンといわれる和田西遺跡もあります。

 多摩市・日野市・八王子市にまたがっているこの渓谷地帯を舟にのって遡る古代の人々は、なにを見たのでしょうか? そして往来する目的は・・・!!

 今回は、大栗川の両岸を地上から歩いて、確認していきます。ここに眠る人達は、何を伝えたかったのでしょうか。感じて推理して楽しみませんか。
58 2013/1/26 藤田一彦 鎌倉「百八やぐら」を探る JR大船駅南口改札口集合(10:00)〜バス「鎌倉湖畔循環」白山神社前下車〜白山神社〜称名寺〜散在ヶ池公園(弁当昼食)〜百八やぐら〜わめき十王岩〜朱垂木やぐら〜回春院〜建長寺〜北鎌倉駅 14:50解散。行程約6km。 鎌倉城防衛最北の丘陵の尾根は天園ハイキングコースとして親しまれていますが、そのハイキングコースのすぐそばに百八やぐらと言われているやぐら群があります。調査は、戦前、赤星直忠氏により行われただけで、鎌倉攬勝考、新編相模国風土記稿にも記された有名なやぐらも、今は知る人ぞ知る存在となっています。

 今回のウォーキングは、鎌倉の北から尾根を越え、百八やぐら、朱垂木やぐら、わめき十王岩から、かつては地獄谷と呼ばれていたこともある建長寺まで歩きます。

なおやぐらを良く見たい方は、懐中電灯があると便利です。
59 2013/1/7 須知正度 新暦七草の目黒七福神めぐり 東急目黒線不動前駅改札口(10:00 集合)〜滝泉(りゅうせん)寺(恵比寿)・目黒不動〜蟠龍(ぱんりゅう)寺(弁財天)〜大円(だいえん)寺(大黒天)〜妙円(みょうえん)寺(福禄寿・寿老人)〜瑞聖(ずいしょう)寺(布袋尊)〜覚林(かくりん)寺(毘沙門天)〜地下鉄南北線・三田線白金高輪駅(14:15) 目黒川と呑川及びそれらの支流に面する湧水点に恵まれた丘陵縁辺を主に、縄文時代の遺跡が40数ヶ所にのぼる。奈良時代から武蔵の国となり、目黒は荏原郡に属した。この頃から目黒附近でも馬牧が盛んに行われ良馬を産しており、馬にちなんだ地名も残っている。目黒の「め」は馬を、「くろ」は畔をあらわし、馬牧の周囲のあぜ道のことで馬の牧から起こった地名であるともいわれている。鎌倉道「中ノ道」が区内を通っていたと推定されている。こうした周辺環境にある目黒の七福神めぐりを新春の新暦七草の日に企画しました。

「なかきよの とをのねふりの みなめさめ なみのりふねの をとのよきかな(長き夜の遠の眠りの皆目覚め波乗り舟の音の良きかな)」の七福神。お参りして現世ご利益を祈るも良し、地形や行程から古道ルートを推定しながら歩くのも良し。奮ってご参加を!
60 2012/12/2 山下 実 「いりまじ」の探索 入曽駅東口〜鎌倉街道上道〜入間野神社〜七曲井〜野々宮神社〜入曽駅=電車移動=狭山市駅東口〜鎌倉街道上道〜万葉歌碑〜八幡神社〜駅付近で昼食〜徳林寺〜清水八幡〜八丁の渡し〜信濃坂・影隠地蔵〜甲斐屋坂〜智光山公園バス停。 狭山市は古代には武蔵国入間郡に属し東山道武蔵路が通過し、万葉集に「いりまじ」と詠われた地域とされます。中世になると鎌倉街道上道・堀兼道とその枝道が多岐に渡り、入間川宿は鎌倉街道上道の上州と鎌倉の略中間で重要な位置を占めていました。市内には縄文〜近世までの遺跡や歴史・伝説・伝承などが数多く残り、鎌倉街道上道沿いの「七曲井」は枕草子などに見られ、野々宮神社と同様に奈良・平安時代が起源と云われています。入間川沿いには元暦元年(1184)木曽義仲の嫡子・清水冠者源義高終焉の地があり義高のために北条政子が祠を建て供養したのが始まりと云われる清水八幡宮が、奥州古道交差点には義高が追っ手から逃れるために身を隠した影隠地蔵があります。又、元弘3年(1333)新田義貞が鎌倉攻めの際に陣を張り、文和2年(1353)から足利基氏が館を構えたと云われる八幡神社・徳林寺を探索します。
61 2012/11/4 佐藤文俊 国分寺崖線の今昔 JR「西国分寺駅」北口改札前(10:00 集合)〜古鎌倉街道上ノ道跡〜東福寺〜姿見の池〜野川水源池〜だんごの輪島〜国分寺駅〜殿ヶ谷戸庭園(昼食)〜一里塚橋〜竹尾家門〜新次郎池〜野川水辺〜貫井神社〜真明寺〜滄浪泉園〜幡随院〜小金井小次郎の墓〜小金井神社〜美術の森〜谷口屋敷〜金蔵院〜西之台遺跡B地点〜六地蔵〜JR「武蔵小金井駅」( 15:20 解散)  約 6.5km  崖線はハケとも云う。その昔、多摩川が削り残した爪痕の一つに国分寺崖線がある。多摩川の砂川九番辺りに端を発するこの崖線は、武蔵野台地を乗せて約30km先の大田区田園調布で終わる。その裾にはハケの湧水を集めた野川が流れている。

 今回は、太古の昔より水ある所に人々が集い、日々の住処をつくってきたこのハケ道の往古を偲んで歩いてみたい。アップダウン少なく、健康志向の高貴(?)高齢者向け。
62 2012/10/28 中丸三次 字「木曾面」と家名(屋号)「けえどう」から古代東海道のルートを探る 京王線聖蹟桜ヶ丘駅西口改札集合(10時)〜字木曾面〜みゆき橋〜車橋バス停〜バス〜永山駅(昼食)〜永山駅バス停〜バス〜別所バス停〜布田道〜井の花 須崎家脇の古道跡〜井の花バス停〜バス〜小野神社前バス停〜御尊柩御成道〜小島家お墓〜小野路一里塚〜小野神社前バス停(15時解散)〜鶴川駅 乞田川の一部を木曾面川と呼び、これに架かる橋の一つを木曾面橋と言ったという。ちなみに、「面」の意味するところは、「字源」では、むく、むかふ、かたむき(方面)などとなっている。一方、多摩市の古老井上庄吉翁の著書「野翁小話」によれば、関戸村と連光寺村との境は、みゆき橋でこの橋の下流にもう一つ橋があって、往古この橋を渡る古い道が富澤屋敷に通じる道だそうだから、昔の木曾面屋敷の傍らを過ぎる古道とあうのである。この道は、古代東海道(または矢倉沢古往還)などとも呼ばれた、武蔵の国府から相模の国府へ通じる古代東海道夷参コースと言われ、このコース上の大蔵(町田市大蔵町)の字「井ノ花」に街道を意味する屋号(家名かいど)の須崎崇宗家がある。さらに山崎町(町田市山崎町)の織部谷には屋号「けえどう」と呼ばれている尾作重夫家があり、道標(みちしるべ)として機能していたと考えられる。したがって字の最小単位が屋号と考えれば、古代道は「字」や「屋号」によって導かれていたと考えられる。これを検証し、古代道確定の一手法として「字」、「小名」、「家名」等からその在り処を推定してみます。
63 2012/10/7 須知正度 青渭神社の獅子舞見学と稲城の歴史散策 京王相模原線稲城駅改札口( 10:00集合 )〜武蔵国衙道(推定通過地)〜妙見尊・妙見寺〜鎌倉道(推定通過地)〜大麻止乃豆天神社〜おおまるやとやま児童公園(昼食)〜青渭神社(14:00 獅子舞見学)〜現地解散(15:00)〜京王相模原線稲城駅 稲城市東長沼の青渭(あおい)神社の獅子舞は、毎年10月の例大祭日に奉納されます。その由来については、江戸時代中頃の安永4年(1775)以前に遡るとされ、獅子の構成は三頭で、大[おお]獅子、求[きゅう]獅子、女[め]獅子です。これら3頭の獅子は、武州御嶽の神、鎮守青沼の神、相州大山の神をかたどるといわれます。獅子といっしょに踊る天狗も登場します。稲城市内では、矢野口(穴澤天神社)、東長沼(青渭神社)、百村(竪神社)、大丸(大麻止乃豆乃天神社)の4か所に三匹獅子舞が伝えられましたが、現在は矢野口と東長沼だけで行われています。 近隣には、蛇より行事の妙見尊や妙見寺があり、北から大麻止乃豆乃天神社、青渭神社、穴澤天神社と延喜式内古社が並び、古代道(武蔵国衙道)や鎌倉道が通り、かつては交通の要衝だったと思われます。謎解き興味深々の地域です。
64 2012/9/21 松本英明 大姫と木曽義高、悲恋の鎌倉探訪タンボウ〜2人に所縁の”常楽寺・岩船地蔵堂”を訪ねる〜 JR 横須賀線「大船駅」南口改札(10:00 集合)〜(バス :鎌倉湖行き 10:13 発)〜常楽寺 〜義高塚〜高野切通し〜六国見山  ( 標高147.4m)〜円覚寺(昼食)〜長寿寺〜亀ケ谷切通り〜岩船地蔵堂〜淨光明寺〜寿福寺〜 鎌倉駅(15:00 解散)  約6km 木曽義仲は、源義朝の弟義賢の子である。頼朝にとっては従兄に当たる。地理的にも都に近い木曽の義仲を最も警戒した。彼はまず人質を要求し、義仲長男清水冠者義高を鎌倉にさし出させた。名目は頼朝の長女大姫との婚約のためとしたが、それを信じる者はいなかったが、六歳の大姫は、幼な心に 義高を未来の夫と信じこんでしまった。寿永2年義仲は頼朝に先じて 京都に入り、平家追討の院宣を受けた。だが朝廷の信任を失った義仲は義経の率いる東国軍に攻め滅ぼされた。当然、義高にも頼朝の断が下った。一時は大姫に助けられ、女装して館を脱出した義高だが、すぐに追手がかかり、入間川のほとりで斬られた。これを知った大姫は食を絶って衰弱し、廃人のような生活を続け、19歳で天逝した。岩船地蔵堂に供養されている。一方義高の首は大船の常楽寺の丘の頂上に葬られている。今回のウォークは許嫁の仲を裂かれた二人の哀れな死を悼み、供養の合掌をいたしたいと思います。
65 2012/6/17 横田泰次 大丸用水と武蔵の新田を歩く JR南武線南多摩駅改札集合(9:30)〜取水口〜是政渡船場跡(稲城側)〜分量樋(大堀分水)〜菅堀〜押立堀分水〜新堀分水〜稲毛道(旧川崎街道)〜雁追橋〜大丸緑地公園(昼食)〜喧嘩口(律草橋碑)〜押立共同墓地(孝子長五郎墓)〜押立渡船場跡(稲城側)〜島守神社〜稲城大橋〜押立渡船場跡(府中側)〜竜光寺(川崎平衛門墓)〜押立神社〜押立公園〜京王線武蔵野台駅(15:30頃解散) 大丸用水は、稲城市大丸の多摩川から取水して川崎市登戸まで流れる用水で、江戸時代以来稲城の村々及び下流の村々を潤す大変重要な農業用水として維持管理されてきました。大丸用水を通じて新田開発に携わった押立村出身の川崎平衛門(1694〜1767)孝子長五郎(1690〜1761)の治績を踏まえ、大丸地区(親水公園)、東長沼地区(上新田)、両押立地区(稲城市、府中市)を探訪します。
66 2012/5/17 松本英明 奈良・平安時代の古道、醍醐道と乳牛道を行く 小田急線秦野駅改札(10:00 集合)〜まほろば大橋〜醍醐道〜曽屋神社(井之明神水)〜乳牛通り〜太岳院〜今泉名水公園(昼食)〜今泉神社〜まいまいの泉〜白笹稲荷神社〜震生湖〜福寿弁財天〜渋沢丘陵〜国栄稲荷神社〜小田急線渋沢駅(15:25 解散) 奈良・平安時代の古道といわれ、本町小学校・秦野市役所間を東北に通り乳牛道(ちゅうしみち)に抜けるのが醍醐道(だいごみち)です。秦野は昔から牧場が多かったそうです。醍醐とは牛乳を精製して造った今のクリームのようなもの。乳牛(ちゅうし)は乳牛を飼っている所、醍醐道は醍醐を運ぶ道、そして地名の曽屋は、蘇(現在のチーズ)を生産したところと解釈できるかもしれません。当時の牛乳は薬用として珍重されました。諸国は順番に蘇を貢納していたことが延喜式に書かれています。丹沢山塊の雄大なパノラマ景観を眺めながら、地震により出現した震生湖や由緒深い神社仏閣をめぐります。
67 2012/4/19 奥村辰三 成瀬の歴史を訪ねて 小田急線玉川学園駅改札集合(10:00)〜赤瀬川原平邸〜田川水泡邸〜薬科大学裏尾根道〜三つ又の観性寺(武相観音第四番)〜鞍掛の松〜成瀬街道〜松竹舎梅谷歌碑〜薬師堂跡〜旧杉山神社跡(こしかけ田)〜成瀬城跡〜堂之坂公苑〜都橋〜与兵衛坂〜原嶋源右衛門供養碑〜崖山処刑場跡〜長津田駅(15:30頃解散) 新田義貞鎌倉攻めの折、乗馬の鞍を松の枝にかけ大休止したとの伝承がある成瀬の地は、成瀬城、杉山神社など興味深い史跡のある所です。春の南町田をゆっくり歩きます。
68 2012/3/31 須知正度 多摩よこやまの道花見で歩こう! 若葉台駅改札口前09:30集合〜丘の上広場〜さくらの広場〜防人見返りの峠〜黒川桜〜並列古道跡(推定・古代東海道跡)〜古道五叉路〜東光禅寺〜古道硬化面跡〜小野路別所さくら並木(昼食)〜別所〜鎌倉古道跡〜妙櫻寺〜京王多摩車庫方面へ 解散:15:00頃 桜花を満喫しながら歩きましょう!都築講師の解説で、さくらの広場、樹齢四百年と伝えられる黒川桜(山桜)、知る人ぞ知る小野路別所のさくら並木を巡り、もちろん古道跡もしっかり見ますよ!
69 2012/3/6 安藤雅子 梅の薬師池公園と町田の古刹を歩く 小田急線鶴川駅北口改札前集合(10:00)〜バスで「袋橋」〜薬師堂・薬師池公園〜山王社〜なかよし散歩道〜遺跡公園(弁当昼食)〜大沢廃寺(七面堂)〜宏善寺〜養運寺〜菅原神社(15:30頃解散) 早春の一日、梅を見ながら薬師池公園と薬師堂をたずね、最近整備された「なかよし散歩道」をのんびりと歩きます。遺跡公園での見学と昼食の後、鎌倉街道上道ルートにあり新田義貞鎌倉攻めの折は焼き払われたと伝えられている町田の古刹をたずねます。
70 2012/1/20 松本英明 大姫と木曽義高、悲恋の鎌倉を訪ねる JR横須賀線「大船駅」南口改札集合(10:00)〜鎌倉湖行きバス乗車〜常楽寺バス停〜常楽寺〜義高塚〜高野切通し〜六国見山 〜円覚寺(各自弁当昼食)〜長寿寺〜亀ヶ谷切通し〜岩船地蔵堂〜淨光明寺〜寿福寺〜鶴岡八幡宮(15:30頃解散) 木曽義仲を警戒した源頼朝は、人質を要求し、義仲の長男清水冠者義高を鎌倉にさし出させた。名目は頼朝の長女大姫との婚約の為としたが、六歳の大姫は義高を未来の夫と信じこんだ。だが朝廷の信任を失った義仲は義経の率いる東国軍に攻め滅ぼされ、義高も追われる身になった。政子や大姫により助けられ、館を脱出した義高だが、追手がかかり、入間川の畔で斬られた。大姫は食を絶って衰弱し、廃人のような生活を続け、19歳で亡くなり、岩船地蔵堂に祀られている。義高の首は常楽寺の丘の頂上に葬られている。今回のウォークは許嫁の仲を裂かれた二人の哀れな死を悼み、供養の合掌をしたいと思います。
71 2011/12/18 小菅 勲 東京・湯島界隈を散策、〜町田・図師村と深い関わりのある古刹を訪ねる〜 JR中央線「御茶ノ水駅」聖橋口改札口集合(10:00)〜湯島聖堂〜神田明神〜霊雲寺〜麟祥院〜湯島天神〜妙極院〜根津神社〜地下鉄湯島駅または根津駅(15:30 頃解散) 湯島にある霊雲寺は、徳川五代将軍綱吉が建てた寺で、その寺領100石は、私の住む図師村の一部でした。春日局の墓がある麟祥院、将門ゆかりの神田明神など湯島界隈の古刹・神社を訪ねて歩きます。(昼食は弁当または飲食店利用も可。)
72 2011/11/2 三浦里美 大山街道の長津田宿と伯楽谷戸の散策 JR横浜線「長津田駅」改札口集合(9:30)〜長津田下宿〜大林寺〜お七稲荷〜王子神社(長津田上宿)〜大石神社〜御野立所〜セントラルパーク(弁当昼食)〜伯楽谷戸(天王社、林地蔵、伯楽谷戸集落)〜福泉寺〜長津田駅(14:30 頃解散) 江戸時代、長津田宿は大山参りで賑わいました。渡辺崋山も歩いた道の風情が今もところどころに残っています。また長津田は岡野融成(板部岡江雪斎)が領した地でもあり、ゆかりの場所を訪ね、昔の風景が感じられる貴重な伯楽谷戸を歩きます。
73 2011/10/10 田口俊弥 下総国府・国分寺の古道と古代祭祀を探る JR総武線「市川駅」改札口前集合(9:30)〜バスで「国分」下車〜瓦窯跡〜北下遺跡〜下総国分寺〜須和田遺跡〜国府台スポーツセンター(各自弁当昼食)〜下総国府〜真間山弘法寺〜真間の手児奈霊堂〜真間山下の奈良・平安古道跡〜小岩・市川関所跡〜春日神社〜JR 市川駅(16:00 頃解散) 下総国は奈良・平安朝廷にとって東国からの租税や物資の輸送基地として、また蝦夷国への前哨基地として地理的に重要な位置を占めていました。今回は最新の発掘結果を元に、下総国府周辺の古道と官道、そして下総国分寺下を流れる川筋で当時行われていた祭祀遺跡(北下遺跡)を訪ねます。
74 2011/9/7 横田泰次 布田道(江戸道・小野路道)−B 多摩川駅〜矢野口(下菅)と船場跡〜角川大映撮影所(旧大映撮影所前)〜古天神跡〜布田道、品川道の交差域〜調布駅付近で昼食〜旧甲州街道〜小島一里塚〜バスで龍源寺へ(三鷹市大澤)〜野川公園〜近藤勇生家跡〜調布飛行場付近(調布市野水)〜味の素スタジアム付近〜飛田給駅 幕末期江戸、市ヶ谷甲良屋敷内にあった天然理心流道場試衛館、三代師範・近藤周助、四代師範・近藤勇(後の新選組局長)、勇の生家跡、上石原村(現調布市野水)の宮川家、小野路村(現町田市小野路町)の寄場名主小島家、日野宿(現日野市)の寄場名主佐藤家等、布田道を通じて多摩郡の幕末、明治、大正、昭和、平成の行政変遷を考慮したウオークです。
75 2011/8/24 横田泰次 布田道(江戸道・小野路道)−A 京王相模原線「若葉台駅」改札前9:30〜上谷戸公園〜坂浜付近の布田道〜甚吾谷戸〜稲城中央公園〜坂浜、百村付近の布田道〜竪谷戸〜稲城駅付近で昼食〜稲城村役場跡〜青渭神社〜稲城第一小学校付近の布田道〜旧川崎街道(稲毛道)〜布田道、稲毛道の交差域〜天神通り、布田道の交差域〜矢野口渡船場跡〜JR「矢野口駅」又は京王「読売ランド駅」*解散は天候により変更の場合あり。 幕末期江戸、市ヶ谷甲良屋敷内にあった天然理心流道場試衛館、三代師範・近藤周助、四代師範・近藤勇(後の新選組局長)、勇の生家跡、上石原村(現調布市野水)の宮川家、小野路村(現町田市小野路町)の寄場名主小島家、日野宿(現日野市)の寄場名主佐藤家等、布田道を通じて多摩郡の幕末、明治、大正、昭和、平成の行政変遷を考慮したウオークです。
76 2011/7/6 横田泰次 布田道(江戸道・小野路道)−@ 「多摩センター駅」小田急線改札前9:30〜路線バスで小野神社前下車〜小野神社〜小野路別所〜電源開発(変電所の西側)〜真光寺いずみ浄苑〜飯守神社付近で弁当昼食〜黒川(汁守神社)〜西光寺〜小田急線「黒川駅」又は京王線「若葉台駅」 幕末期江戸、市ヶ谷甲良屋敷内にあった天然理心流道場試衛館、三代師範・近藤周助、四代師範・近藤勇(後の新選組局長)、勇の生家跡、上石原村(現調布市野水)の宮川家、小野路村(現町田市小野路町)の寄場名主小島家、日野宿(現日野市)の寄場名主佐藤家等、布田道を通じて多摩郡の幕末、明治、大正、昭和、平成の行政変遷を考慮したウオークです。
77 2011/6/30 松本英昭 座間の湧水と鎌倉道を歩く 小田急線「座間駅」改札前10:00集合〜神井戸湧水〜梨の木坂横穴墓群〜諏訪神社〜心岩寺湧水〜鈴鹿明神社〜龍源院湧水〜鈴鹿の泉・湧水〜番神水の湧水〜座間神社・座間公園(昼食)〜富士山公園〜護王姫大明神〜星の谷観音〜小田急「座間駅」15:30 頃解散予定 豊かな自然と歴史・文化に恵まれた座間は、意外と知られていない魅力があります。相模野台地や座間丘陵に位置する湧水や鎌倉古道を巡り、昔からの人間と自然との関わりについて理解を深めることができるコースです。相模原台地は、相模川の河原や河岸段丘を関東ローム層が覆っており、浸み込んだ雨水が10数ヵ所で湧き出し、市民の憩いの場として大切に守られています。また、2〜3 万年前の旧石器時代の住居跡が付近から数多く発見されています。
78 2011/6/18 藤田一彦 鎌倉・常盤の森を歩く JR横須賀線「北鎌倉駅」改札前10:00集合〜十王堂橋〜東瓜ヶ谷やぐら〜海蔵寺裏山の大堀切〜葛原ヶ岡神社〜旧野村総研本社跡地(昼食)〜タチンダイ(北条常盤邸跡)〜常盤の森〜梶原口〜梶原御霊神社〜モノレール「湘南深沢駅」15:00頃 解散予定 モノレールにて大船へ 鎌倉街道上ツ道は、化粧坂めざして梶原の谷を登っていきましたが、梶原谷の北の尾根を通っていた道もあったと言われています。しかし今はその両方の道とも住宅開発で、昔の姿を想像することは非常にむずかしくなってしまっています。一方、南の尾根道は今も常盤の森の中にあり、その尾根の南の谷には、化粧坂と大仏切通しへ通ずる二つの道を守る好位置に北条常盤邸がありました。

化粧坂防衛の大堀切や鎌倉でもあまり知られていない東瓜ヶ谷のやぐらを通り、常盤の森を歩きます。

なお、昼食は必ずご持参ください。(コースは起伏が多く、健脚向き)
79 2011/5/14 小林清三 城山の鎌倉みちを歩く JR横浜線「橋本駅」改札前9:00集合〜バス〜城山総合事務所(9:30)〜温泉坂〜建具屋の地蔵尊〜大山みち赤坂〜北公園、獅子みち(昼食)〜はけ坂〜六地蔵〜御嶽神社〜照手姫伝説の横山丘陵緑地〜和田坂〜亀ヶ池八幡宮〜JR 横浜線「上溝駅」(16:00 頃解散予定、約6 q) 治承四年(1180)源頼朝が鎌倉に入り、步家政権が誕生した。その時、津久井地域の步士では大江、蛯名、本間などの各氏や秩父党、横山党と呼ばれる強い步士団がいたと云います。それらの步士団が「いざ鎌倉!」と云う時、鎧兜に身を固めて通ったであろう鎌倉道を歩き、「照手姫」「和田義盛」伝説の地を訪ねます。
80 2011/4/8 松本英昭 摩センター桜名所めぐり〜乞田川・吉祥院・宝野公園・川井家枝垂れ桜・お花見広場 他〜 「多摩センター駅」小田急線改札前10:00集合〜乞田川桜並木〜吉祥院「花の寺」〜宝野公園・奈良原公園(昼食)〜鶴牧西公園・川井家枝垂れ桜〜からきだの道のお花見広場・砦山・唐木田百本シダレ〜唐木田駅解散(14:30頃解散予定) 多摩市の「市の花」がヤマザクラであるように、桜は多摩市自慢のひとつ。市内には数多くの桜スポットがあります。乞田川の両岸からせり出す桜、井上靖の小説に登場した吆祥院の枝垂れ桜、富士山を見ながら桜を観賞できる宝野公園、高さ約13mの見事な川井家のシダレサクラ、からきだの道の桜の新名所、“からきだ百本シダレ”など、今回は多摩センターから唐木田方面の桜を楽しみたいと思います。
81 2011/3/26 須知正度 多摩よこやまで桜を楽しもう! 観桜ウォーキング、東コース 京王相模原線若葉台駅改札口前09:30集合〜丘の上広場〜さくらの広場〜防人見返りの峠〜黒川桜〜並列古道跡(推定・古代東海道跡)〜古道五叉路〜別所さくら並木(昼食)〜京王多摩車庫方面へ 当団は、よこやまの道の「展望広場」に『防人(さきもり)見返りの峠』の標柱を設置し、恒例の「さきもり(防人)まつり」でも時代衣装の万葉人と歩くコースの一部にしています。多くの古道と重なり交叉し、それらの痕跡や伝説も多く、古道や歴史に関心のある方に愛好されています。また、里山の自然が残っており、四季を楽しめます。この豊かな道を歩き、感じ味わってみませんか?

 桜花を満喫しながら歩きましょう!都築講師の解説で、さくらの広場、樹齢四百年と伝えられる黒川桜(山桜)、知る人ぞ知る小野路別所のさくら並木を巡り、もちろん古道跡もしっかり見ますよ!
82 2011/3/6 山下 実 高月城、滝山城と鎌倉道を訪ねる JR青梅線・八高線・西武拝島線「拝島駅」南口改札前9:15集合〜バスで「高月」下車〜高月城〜圓通寺〜鎌倉道〜滝山城・神の曲輪ほか〜鎌倉道の遺構〜近くのバス停で解散(八王子駅行きバス多数)約6Km 高月城は15 世紀に在地步士・大石氏によって造られたと云われる。その後、大石氏は大永年間(16 世紀)に滝山城に移る。

永禄年間に北条氏照が城主となるが天正年間に八王子城に移転する。周辺の鎌倉道も時代と共に変化・移動したと考えられ現在も残る古道遺構なども尋ねます。
83 2011/2/19 藤田一彦 新田義貞の鎌倉攻め〜攻防の要となった尾根を歩く〜 JR横須賀線「鎌倉駅」東口改札前10:00集合〜バスで「火の見下」〜大仏切通し〜長谷配水池〜一升枡遺構〜極楽寺のあたりで昼食〜五合枡遺構〜仏法寺跡〜江ノ電極楽寺駅又は稲村ヶ崎駅(15:00頃解散) 元弘三年(1333)五月、新田義貞は巨福呂坂、化粧坂、極楽寺坂より鎌倉を攻めたが、幕府軍の防衛線を破ることができず、潮の引いた稲村ヶ崎の浜辺を通ってようやく鎌倉を攻略した。稲村ヶ崎の浜辺から鎌倉へ侵攻することを可能にしたのは、極楽寺の子院・仏法寺のあった霊山を新田軍が占拠し、浜辺を通る軍勢に横矢を射て侵攻を妨げていた幕府軍を排除することができたからでした。尾根に設けられた防衛施設と思われる遺構(一升枡、五合枡)、仏法寺(霊山寺)跡と、大仏の切通しを訪ねます。あまり人の通らない尾根を藪こぎ風に歩かなければならない所があります。歩行距離は短いですが、少し健脚向きのコースになります。
84 2011/1/16 各務湘一 御殿峠から「絹の道」へ JR横浜線相原駅改札口9:30集合〜旧町田街道〜青木家住宅〜旧八王子厚木往還(鎌倉古道)〜御殿峠(2代目)上部〜光宝院前〜御殿峠(2代目)下部 〜御殿峠(3代目)〜御殿山尾根道〜「絹の道記念碑」(鑓水峠)〜「絹の道」〜「絹の道資料館」(昼食)〜嫁入橋(鑓水中央バス停)〜小泉屋敷〜小山内裏公園入口(浜見場)〜京王相模原線多摩境駅15:00解散予定 御殿峠を越える八王子厚木往還(鎌倉古道)は気持ちのよい木陰の道です。百年前まで幹線道路として使われていた路ですが、古道の形状もよく残っています。戦国武将が行き来した道でもあり、武相の困民が示威行動を行ったのもこの峠道でした。 鑓水峠(道了堂跡)を越える「絹の道」は幕末維新期に八王子近辺の輸出用生糸を横浜に運ぶ道(浜街道)でした。貴重な自然と歴史の遺る道です。危険な箇所は避けながらも、峠道の変遷が実感できるように辿ろうと思います。
85 2010/11/7 中丸三次 一遍上人の当麻への道を探る JR横浜線/古淵駅改札口前9:30集合〜淵野辺新田〜河本ファーム〜淵野辺公園(弁当昼食)〜下古山〜当麻〜無量光寺(当麻宿)〜原当麻駅 相模原市南区当麻にある当麻山無量光寺は、開山が一遍上人とも真教上人とも言われているが、弘安二年信州善光寺に参詣した一遍は、その年の暮善光寺から伴野(長野県佐久市)に行き、初めて空也上人の先例に倣い念仏修行をした。承久の乱後、佐久に配流された叔父河野通末の霊を慰めたいとの意図であったとされている。このような、祖先の霊を慰める踊り念仏は、平安の頃、葬送に念仏が関わりを持つようになって念仏と踊りによって御霊を慰めるようになった。『一遍聖絵』巻四には、「おどり念仏は空也上人、或は市屋、或いは四条の辻にて始行し給けり」とある。伴野を発った一遍は、叔父通末の墳墓を岩手県北上に訪ねた。土饅頭の塚があり、手入れが行き届いたさまをみて、流罪とはいえ土豪の待遇に安堵した。江差(岩手県江刺市)を後に弘安三年冬、浜通りを南下し常陸から武蔵の石浜(台東区石浜町)につき、隅田川に沿って武蔵国に入った。この間、『一遍聖絵』には当麻のことがまったく触れられていない。金井清光氏、現在の聖絵には弘安四年の部分が脱落したか、あるいは故意に削除したものと考えざるを得ない。(一遍と時宗教団 大橋俊雄『一遍入門』春秋社版)。なお、氏によれば、鎌倉へ入る交通路としては、府中から南下して多摩川を渡るコースがあると記されてをり、当麻は中世交通上の要路で、市も開かれていたから一遍がここを布教の地と定めたのも自然であるとしている。今回はこのコースで当麻行を試みる。
86 2010/10/16 藤田一彦 朝比奈切通し、六浦道を探る JR横須賀線「鎌倉駅」東口改札前10:00集合〜バスで十二所神社〜景時太刀洗水〜三郎の滝〜朝比奈切通し〜熊野神社〜旧峠村〜金沢側から尾根道で鎌倉側へ〜十二所神社〜鎌倉霊園休憩所で昼食(少し遅い昼飯になります)〜光触寺〜明王院〜梶原井〜バスで鎌倉駅へ 朝比奈切通しは仁治二年(1241)工事に着手したと吾妻鏡にあり、鎌倉と六浦の港を結ぶ重要な道であった。しかし頼朝が鎌倉に居を構えた時からこの道があったわけではなかった。それ以前はどこを通っていたのだろうか 梶原景時に謀殺された上総介広常の屋敷のあったと伝えられている場所や鎌倉郡峠村の鎮守熊野神社の位置から、朝比奈切通し開削前の鎌倉・六浦間の道を探ります。今でも昔のおもかげを残している朝比奈切通しも併せて歩きます。
87 2010/6/26 秋田慎子・須知正度 東山道武蔵路〜道から始まった国づくり?!〜 JR中央線/武蔵野線「西国分寺駅」南口改札口前10:00集合〜日影山遺跡(東山道武蔵路)〜お鷹の道・真姿の池湧水群〜武蔵国分寺資料館見学(100円)〜「史跡の駅おたカフェ」にて資料収集及び昼食〜武蔵国分寺僧寺跡〜七重の搭跡〜文化財資料展示室(尼寺のビデオ)〜武蔵国分寺尼寺史跡〜西国分寺駅南口(解散15:00頃)連絡先:須知正度☎090-3695-7580 東山道武蔵路からはじまった国づくり―府中の武蔵国府造営そして武蔵国分寺の建立―その道を歩いて古代武蔵の鼓動を感じたいと思います。古代の官道である東山道武蔵路は、おおよそ7世紀後半につくられたといわれ、北の上野国から府中の国府に真っ直ぐに伸びています。武蔵路沿いに武蔵国分寺が営まれて、僧寺・尼寺・七重の搭があり、範囲は東西八町(880m)南北五町(550m)に及ぶもので、諸国国分寺のなかでも最大の規模とされ、総国分寺の東大寺にも劣らない規模です。近くには湧水群もあり、資料館には、全国の国分寺瓦を集めた住田コレクションもあります。これら国分寺遺跡の中に立ち、「四神相応の地」を実感したいと思います。
88 2010/5/23 山下実 鎌倉街道秩父道と八王子城上道を探る JR中央線/京王線「高尾駅」南口(京王側)改札口前9:30集合〜JRの古道ガード(仮称)〜南浅川に掛る、こどう橋−稜南公園(休憩)〜多摩御陵入口〜日光神社〜稜東公園〜多摩御陵内の鎌倉街道〜出羽山公園(昼食)〜八王子城下町〜梶原八幡神社〜赤門橋〜八王子城への下道と上道〜大木戸・宋関寺(15:00頃解散予定、高尾駅行きのバス多数)約6km。連絡先:山下実☎090‐5208‐3123 北條氏照は天正10年(1582) 頃、八王子城を築き滝山城から移転したと伝えられています。その移転は城下町全体を含めたものであったため、本城小田原との道も新設・普請されました。八王子城下・多摩御陵等に残る道筋を探ります。また、鎌倉幕府の御家人梶原景時ゆかりの八幡神社を訪ね、城下町から城につながる上を訪ね、城下町から城につながる上級武士用の上道と、一般武士用の下道を確認し、大木戸にある北條氏照の菩提寺、宋関寺を訪ねます。
89 2010/5/15 安藤雅子 新緑の初夏、民権フットパス 小田急線「鶴川駅」北口改札前9:30集合〜自由民権資料館〜野津田神社〜自由民権の森(石阪昌孝墓碑)〜町田ぼたん園(昌孝屋敷跡、出会いの碑)〜昼食〜石阪昌孝生家〜華厳院坂〜野津田公園(村野常右衛門屋敷)〜村野小児科医院(常右衛門生家)〜川島入口バス停 (解散、15:00頃) 神中バスで鶴川駅へ。連絡先:安藤雅子(☎042-735-1615) 緑あざやかな野津田の里山を往時の自由民権運動家達を偲んで歩いてみませんか?芍薬や薔薇などの花々も美しく色を添えてくれることでしょう。最初に、自由民権資料館を訪問し、係りの方から一時間程度の解説をしていただきます。その後、自由民権運動家達のゆかりの地を昼食を挟んで歩きます。
90 2010/4/17 藤田一彦 新田義貞の鎌倉攻め〜攻防の要となった尾根を歩く〜 JR横須賀線「鎌倉駅」東口改札前10:00集合〜バスで「火の見下」〜大仏切通し〜長谷配水池〜一升枡遺構〜極楽寺のあたりで昼食〜五合枡遺構〜仏法寺跡〜江ノ電極楽寺駅又は稲村ヶ崎駅(15:00頃解散)連絡先:藤田一彦 ☎042-752-9840 元弘三年(1333)五月、新田義貞は巨福呂坂、化粧坂、極楽寺坂より鎌倉を攻めたが、幕府軍の防衛線を破ることができず、潮の引いた稲村ヶ崎の浜辺を通ってようやく鎌倉を攻略した。稲村ヶ崎の浜辺から鎌倉へ侵攻することを可能にしたのは、極楽寺の子院・仏法寺のあった霊山を新田軍が占拠し、浜辺を通る軍勢に横矢を射て侵攻を妨げていた幕府軍を排除することができたからでした。尾根に設けられた防衛施設と思われる遺構(一升枡、五合枡)、仏法寺(霊山寺)跡と、大仏の切通しを訪ねます。あまり人の通らない尾根を藪こぎ風に歩かなければならない所があります。歩行距離は短いですが、少し健脚向きのコースになります。
91 2015ネン11ガツ〜2019ネン1ガツ (9カイ) 2015ネン11ガツ〜2019ネン1ガツ (9カイ) 2015ネン11ガツ〜2019ネン1ガツ (9カイ) 2015ネン11ガツ〜2019ネン1ガツ (9カイ) 2015ネン11ガツ〜2019ネン1ガツ (9カイ)
92 2015ネン11ガツ〜2019ネン1ガツ (9カイ) 2015ネン11ガツ〜2019ネン1ガツ (9カイ) 2015ネン11ガツ〜2019ネン1ガツ (9カイ) 2015ネン11ガツ〜2019ネン1ガツ (9カイ) 2015ネン11ガツ〜2019ネン1ガツ (9カイ)
93 2010/1/16 山下実 鎌倉街道秩父道と案下道を探る JR横浜・中央線「八王子駅」北口改札口前 9:30集合=路線バス=切通し〜日枝神社〜切通しから古道〜菅原神社〜小田野城跡(昼食)〜心源院〜上宿〜辺名〜金山神社〜恩方車庫(15:00頃解散予定・約6km)。高尾駅行きのバス多数。 八王子城搦め手側の恩方町川原宿は当時の八王子と甲州を結ぶ案下道と南北の鎌倉街道秩父道が交差す宿でした。周辺には八王子城の物見台に使われたと伝わる小田野城址・淨福寺城址があり戦略的にも重要な地域でありました。また、武田信玄の子女松姫が信州高遠城から案下道を通り頼って来たと伝わる心源院、永正の頃(1504〜1521)から江戸時代までその時々の治世者の庇護を受け名刀を残した刀匠達の郷「下原刀鍛冶発祥の地」なども訪ねます。
94 2009/11/14 山下実 鎌倉街道秩父道と八王子城上道を探る JR中央線/京王線「高尾駅」南口(京王側)改札口前9:30集合〜JRの古道ガード(仮称)〜南淺川に掛かる、こどう橋 〜稜南公園(休憩)〜多摩御陵入り口〜日光神社〜稜東公園〜多摩御陵内の鎌倉街道〜出羽山公園(昼食)〜八王子城下町〜梶原八幡神社〜赤門橋〜八王子城への下道と上道〜大木戸・宗関寺(15:00頃解散予定・約6km)。高尾駅行きのバス多数。 北條氏照は天正10年(1582)頃、八王子城を築き滝山城から移転したと伝わりますが、その移転は城下町全体を含めたものでした。そのため、本城小田原との道も新設・普請されましたが、城下・多摩御陵等に残る道筋を探ります。また、鎌倉幕府の御家人梶原景時由来の八幡神社を訪ね、城下町から城につながる上級武士用の上道と、一般武士用の下道を確認し、大木戸にある北條氏照の菩提寺・宗関寺を訪ねます。
95 2009/9/13 佐藤文俊 幻の大寺院「真慈悲寺」と百草城の遺構を探る検証ウォーク 京王線「百草園駅」改札口前10:00集合〜大宮神社前〜七生遊歩道〜寿昌院墓〜百草城址〜八幡神社〜@発掘現場跡〜古鎌倉道〜A発掘現場〜百草園(昼食)〜マシイ坂〜朝日様〜観音堂〜発掘調査センター〜倉沢〜新堂ヶ谷戸〜ヘッピリ坂〜山の婆坂〜有山屋敷跡〜京王線「聖蹟桜ヶ丘駅」解散(15:30頃) 約5.3km 「武蔵国真慈悲寺」は、鎌倉幕府によって編まれた日記体の史書「吾妻鏡」に、文治2年(1186)源頼朝の援助によって再興され(同年2月3日条)、建久3年(1192)後白河法皇の四十九日法要に頼朝の命により浅草寺に並ぶ3口の僧を参加せしめた(同年5月8日条)と記録されている。今は幻となったこの大寺院は、名所梅園「百草園」を中心とする百草山全域が寺域と推定されていることから、近年、付近にて大々的に発掘調査が行われ、様々な関連遺構が発見されている。またここは、当団団長の宮田太郎氏が昭和63年(1988)2月に中世の山城「百草城」であったとマスコミに発表、世間に一大センセーションを巻き起こした所でもある。今回は、発掘現場や出土品、城郭遺構を訪ね、これらを検証してみたいと思う。
96 2009/8/22 横田泰次 築井(津久井)紀行 小山田与清の道をだどる−W、寿福寺〜小沢城編 京王相模原線「稲田堤駅」北口改札口前9:30集合〜多摩川〜子之神社〜法泉寺〜薬師寺〜寿福寺(昼食)〜小沢城址〜穴沢天神社〜京王よみうりランド駅(15:30頃解散予定) 小沢城は大永6年(1526)から享禄3年(1530)にかけて二代北条氏綱から三代氏康への継承を控え、扇谷上杉氏と戦った合戦場です。このときの戦いを小沢が原の合戦と言い、後北条氏の北西武蔵進攻の足掛かりとなったと言われており、三代氏康の初陣の戦でもありました。こんな多摩の古戦場を巡り往時を偲びます。
97 2009/8/4 佐藤文俊 水辺の道 江戸用水シリーズ−U、中流域 多摩都市モノレール・西武拝島線「玉川上水駅」改札口前09:00集合〜水道局監視所〜たぬき堀〜水車小屋跡〜下水道館〜鎌倉橋〜二ツ塚〜平櫛田中館〜西武多摩湖線一橋学園駅解散(12:30頃) 約5.0km 玉川上水は承応2年(1653)徳川幕府・第4代将軍家綱の時代、人口が膨張を続ける江戸の水需要に対応すべく、老中・松平伊豆守信綱が開削を発議、羽村出身の江戸町人・玉川兄弟が工事を請け負い、2度の失敗があったものの、羽村の取水口から四谷木戸(現新宿御苑)に至る43kmを、着工からたったの8ヵ月で完成させ、昭和40年(1965)新宿の淀橋浄水場が閉鎖されるまでの312年間、江戸と東京23区の飲水を賄っていました。現在、小平監視所から下流の水は自然水ではありませんが、水は清く、道々は木陰に守られた都会の中の静かな散策路が続いています。暑さ厳しいこの季節、ウォーク好きの高齢団員には最適なお勧めコースです。多摩モノレールと西武新宿線が交わる「玉川上水駅」下の上水流路を東方に下り、古人の偉業を偲びながら、“暴れん坊将軍”吉宗の時代に行われた享保の改革による新田開発時の田畑の区割が現在も残る街並を横目に、途中地下25mの下水道が見られる下水道館や上水を横断する鎌倉街道上道脇の侠客“小川の幸蔵”と小金井小次郎一家との出入りがあった「二ツ塚」、日本近代木彫界の巨匠「平櫛田中」の展示館などを見学します。
98 2009/7/14 佐藤文俊 水辺の道 江戸用水シリーズ−I、下流域 JR中央線「三鷹駅」南改札口前09:00集合〜山本有三記念館〜井の頭公園・弁財天〜黒門〜人見街道〜御嶽神社(城跡)〜昭栄公園〜神田川〜京王井の頭線高井戸駅解散(12:30頃) 約5.0km 玉川上水は承応2年(1653)徳川幕府・第4代将軍家綱の時代、人口が膨張を続ける江戸の水需要に対応すべく、老中・松平伊豆守信綱が開削を発議、羽村出身の江戸町人・玉川兄弟が工事を請け負い、2度の失敗があったものの、羽村の取水口から四谷木戸(現新宿御苑)に至る43kmを、着工からたったの8ヵ月で完成させ、昭和40年(1965)新宿の淀橋浄水場が閉鎖されるまでの312年間、江戸と東京23区の飲水を賄っていました。現在、小平監視所から下流の水は自然水ではありませんが、水は清く、道々は木陰に守られた都会の中の静かな散策路が続いています。暑さ厳しいこの季節、ウォーク好きの高齢団員には最適なお勧めコースです。JR「三鷹駅」をスタートして、「太宰治」の入水場所から上水沿いの「山本有三記念館」で代表作「路傍の石」や「女の一生」が映画化された当時の宣伝ポスターを懐かしみ、三代将軍家光命名の「井の頭公園」に在る源氏の祖・源経基創建の弁財天に立ち寄るなど、上水開渠終端の浅間橋まで約5.0kmの水辺の小路を散策します。
99 2009/6/20 中丸三次 木曽宿に古代東海道夷参道と御尊櫃御成道を探る JR横浜線「古淵駅」改札口前9:30集合〜谷淵の井出の沢古戦場〜磯辺道(古代東海道夷参道・当麻道)〜下の宿〜一本松〜木曽宿(昼食・弁当)〜観音堂〜福生寺〜中里橋〜一の窪〜鎌田坂〜図師バス停付近で解散予定。約5q。 東京都町田市の木曽は続日本紀にも記された古代の東海道の道筋にあたり、家康の遺骨を運んだ頃には少なくとも宿場が形成され一里塚もありました。南北に形成されていた宿の姿を検証し、境川の古代からの渡河点や江戸時代の家康の柩(ひつぎ)搬送の道などを探っていきます。
100 2009/5/23 小林清三 蝦夷地に渡った文翁和尚の津久井光明寺を訪ねる JR横浜線「橋本駅」改札口前9:30集合=バス=六間入口〜光明寺〜青山神社〜千部塚〜信玄道〜富士塚〜津久井城パークセンター(昼食・弁当)〜城山登山入口〜八幡神社〜湘南寺〜小倉橋〜久保沢バス停解散(16:00頃) 武田信玄は三増峠の戦いで勝利した後、津久井路(信玄道)を通って甲斐に向かった。途中、青山の光明寺に「提の借用」を断られたという理由で火をかけ全焼させ、武田軍はその火明りで行軍したと伝わっている。その光明寺の第12世住職・文翁和尚の時(文久元年 1804)、幕府の命令により、東蝦夷・厚岸(あっけし)に官寺を創設することになった。難辛苦の末、景雲山国泰寺(こくたいじ)を開山し、今に残る。今回のウオーキングは、文翁和尚ゆかりの地を訪ねその足跡を偲びつつ、山里の津久井路を歩きます。
101 2009/4/4 佐藤文俊 ハケの道歴史探訪シリーズ−W 三ノ宮の御旅所と武蔵国府が誘致?豪族の謎を探る 京王線「東府中駅」北改札口前9:00集合=バス=浅間山公園〜浅間神社〜人見稲荷〜多磨霊園〜武蔵野公園〜美術の森〜野川公園(昼食・弁当)〜近藤勇生家跡・龍源寺〜出川横穴墓〜古八幡社〜天文台古墳〜天文台バス停=バス=京王線調布駅解散(15:30頃)約9.0km 古多摩川が削り残した都会の小山「浅間山」の麓に静かにたたずむ「人見稲荷」。この鎮守は三ノ宮(大宮氷川神社)の御旅所であったと云われている。何故に那珂(埼玉県)を本拠とする人見氏が他領に進入出来たのか。そして、三ノ宮に係る国造・兄多毛比の謎……。山裾を通る「人見街道」と野川湧水で生活した古人の足跡を追想します。
102 2009/3/14 横田泰次 筑井(津久井)紀行−Z 三代北条氏康の初陣・小沢が原合戦の跡を探る 京王相模原線「稲田堤駅」北口改札口前9:30集合〜多摩川〜子之神社〜法泉寺〜薬師寺〜寿福寺〜昼食(弁当)〜小沢城址〜穴沢天神社〜京王よみうりランド駅(15:30頃解散) 小沢城は大永6年(1526)から享禄3年(1530)にかけて二代北条氏綱から三代氏康への継承を控えて扇谷上杉氏と戦った合戦場です。このときの戦いを小沢が原の合戦と言い、後北条氏の北西武蔵進攻の足掛かりとなったと言われています。多摩丘陵の古戦場を巡り往時を偲びます。
103 2009/3/10 佐藤文俊 ハケの道歴史探訪シリーズ−III ロマン溢れる古代南武蔵を訪ねて 東急田園都市線「二子玉川駅」改札口前9:00集合〜兵庫島〜丸子川〜野毛大塚古墳〜等々力渓谷〜昼食(弁当)〜御岳山古墳〜狐塚古墳〜八幡塚古墳〜八幡神社〜宝莱山・亀甲山古墳〜東急東横線多摩川駅解散(15:30頃)約7.0km 多摩川下流域北岸の台地上には、世田谷区野毛から大田区田園調布にかけて、4〜5世紀前半築造の大型墳丘約50基が連なっている。その頃の南武蔵は大和王権の支配が未だ及んでいなかった。日本書紀の安閑天皇元年(534)の条に記載の「武蔵国造の争乱」の地は、ここ多摩川下流域と云われている。果たして、この地を治めていた在地豪族の王とは誰だったのか、そしてその王の墳墓はどれを指すのか……。古代南武蔵の溢れるロマンを求めて荏原台と多摩川台の古墳群を訪ねます。
104 2009/2/28 横田泰次 築井(津久井)紀行 小山田与清の道をだどる−Y、深大寺〜六所宮編 京王線「調布駅」北口改札前9:30集合〜布田神社〜国領神社〜虎柏神社〜青渭神社〜深大寺城址〜浅間山〜欅並木第1鳥居〜称名寺〜大国魂神社(16:00頃解散予定) 深大寺から六所宮を巡り、国府と総社との関係、国府の衰退と総社の隆盛の関係を探るウオーキンクです。また、六所宮を中心に最近の発掘結果をもとにその様子を探ります。「国府と総社」さてどんなうんちくが語られるか? 楽しみにして待ちましょう。
105 2009/2/22 小菅勲 築井(津久井)紀行 小山田与清の道をだどる−X、与清の生家周辺 京王相模原線「南大沢駅」改札口前9:30集合〜蓮生寺〜長池〜鶴見川源々流〜田中谷戸〜与清生家〜養樹院〜神明神社〜大泉寺〜若林三右衛門宅〜日大三高入口バス停解散(15:30頃) 与清は32才の時、小山田の生家を訪ね、そして旧友達とも会いました。今回、小山田を中心にその足跡を歩いてみようと思います。
106 2009/1/31 横田泰次 築井(津久井)紀行 小山田与清の道をだどる−W、寿福寺〜小沢城編 京王相模原線「稲田堤駅」北口改札口前9:30集合〜多摩川〜子之神社〜法泉寺〜薬師寺〜寿福寺(昼食)〜小沢城址〜穴沢天神社〜京王よみうりランド駅(15:30頃解散予定) 小沢城は大永6年(1526)から享禄3年(1530)にかけて二代北条氏綱から三代氏康への継承を控え、扇谷上杉氏と戦った合戦場です。このときの戦いを小沢が原の合戦と言い、後北条氏の北西武蔵進攻の足掛かりとなったと言われており、三代氏康の初陣の戦でもありました。こんな多摩の古戦場を巡り往時を偲びます。
107 2008/12/13 斎地カズエ 築井(津久井)紀行 小山田与清の道をだどる−V、世田谷編 小田急線「下北沢駅」改札口前9:30集合〜淡島神社〜森厳寺〜北沢八幡神社〜鎌倉橋〜(北沢緑道)〜円乗院〜「梅ケ丘駅」=電車=「成城学園駅」〜次大夫掘公園(昼食)〜須賀神社〜慶元寺〜氷川神社〜(岩戸川緑道)〜小田急狛江駅15:30解散予定(約7km) 武州多摩郡上小山田村の生んだ近世後期の和学考証家小山田与清の『筑井紀行』。およそ200年前に書かれたこの紀行文の行程を今の都内で辿ることは至難の業ですが、今回は北沢の里の淡島神社から梅ヶ丘の円乗院を経て氷川神社まで、北沢や大蔵の里を歩き近世後期の旅を偲びます。
108 2008/10/25 田中次雄・小林清三 築井(津久井)紀行 小山田与清の道をだどる−U 集合地=三ケ木〜沼本〜石老山入口〜正覚寺(俳句寺で有名)〜顕鏡寺〜石老山〜ピクニックランド・バス停解散(16:00頃) 武州小山田村(現、町田市上小山田町)の生んだ江戸後期の国学者小山田与清がその著『筑井紀行・三保路の記』で辿った道を歩くウオ−キング「津久井−U」として次のコースを歩くガイドウォークです。

与清は小山田を出立した後久保沢・畑久保・荒川を経由して嶋崎律直の家に到着して2泊した。その間、畑久保の四方庵澧水を訪ね、津久井城址、小倉の紅葉見物などをした(小山田与清の道をたどるーT)。今回は、川和(津久井中野)を経て、三ケ木・沼本から石老山(顕鏡寺)を訪ねるクライマックスの旅である。友清が訪ねたのは旧暦の9月26日、まさに与清が訪ねた同じ季節でのウオーキングです。ご期待ください。
109 2008/10/18 佐藤文俊 古甲州道中と武蔵七党立川氏を探る〜国立市と立川市南部地域ガイドウォーク〜 JR南武線「矢川駅」北口階段10:00集合〜立川河原古戦場と伝三輪城〜向郷及び緑川遺跡と矢川の清流〜青柳古墳群と四軒在家遺跡〜ママ下湧水〜古甲州道(道中)〜日野津(旧渡船場)<昼食>〜残堀川〜立川氏館跡(普済寺)〜鎌倉古道〜諏訪神社〜JR「立川駅」南口(行程:約8.0q、解散:立川駅16:00頃) 今回は4月実施の古多摩川が削り残した段丘上のハケ道を引き続き遡ります。ご案内する立川市南部青柳段丘上を通る甲州街道は昨年11月、国立インター入口より以西の国道の地位を新道日野バイパスに譲り、256号線と呼ばれる都道になりました。時代の変貌の中で、古甲州道とその周辺に往古から続く人々の生活の痕跡を探ります。
110 2008/9/13 田中次雄・小林清三 築井(津久井)紀行 小山田与清の道をだどる−T 集合地=城山総合事務所入り口〜久保沢〜谷ケ原〜普門寺〜中沢(日本一のウラジロガシ)〜津久井湖水の苑地〜津久井湖花の苑地〜城山公園パークセンター〜津久井城址〜津久井湖花の苑地バス停解散(16:00頃) 武州小山田村(現、町田市上小山田町)の生んだ江戸後期の国学者小山田与清がその著『筑井紀行』で辿った道を歩くウオ−キング「多摩編−T」として次のコースを歩くガイドウォークです。
111 2008/4/12 佐藤文俊 古多摩川の流跡、春萌のハケに古えを訪ねる JR・京王線/分倍河原駅南口・新田義貞像前9:30集合〜旧鎌倉街道〜御猟場道〜谷保天満宮〜城山・古民家(昼食)〜国立郷土館〜南養寺〜ママ下〜古墳〜矢川緑地〜JR西国立駅(解散15:30頃・行程:約6km) 多摩川が造ったという「年代ものの置き土産」、これが崖線(ハケ)である。崖線の直下からは武蔵野段丘や立川段丘上に降った雨水が地中深く染み込み濾過されて、至る所で湧き出ている。湧水は小川となって崖線下の田畑を潤し、やがて多摩川に注ぐ。都市化が進む中、メダカが泳ぎ四季折々の花が咲くなど、里山の原風景が今もここにある。古代人の足跡も多く、バラエティに富んだ散歩道である。
112 2008/2/16 斎地カズエ 古代甲州道を歩く、多摩境〜堀之内編 京王相模原線多摩境駅改札前10:00集合〜田端遺跡(環状積石遺構)〜長池〜南大沢〜別所(蓮生寺)〜(昼食)〜堀之内(一次解散)〜日影堀の内(八幡神社)〜小池谷戸〜井戸の上〜大塚(解散15:00頃) 歴史古街道団では古街道探索シリーズとして「古代甲州道」のウォーキングを既に実施しましたが、今回、ガイドウォークとしてたったひとつの峠越えで多摩丘陵を横断できる南大沢の峠を体験し、大栗川沿線南側の谷戸を歩きます。
113 2008/1/27 山崎善弘 梶原景時縁の八幡神社と後北条氏の遺構を探る JR中央線高尾駅北口改札前09:30集合〜廿里古戦場跡〜八幡神社〜宗関寺・横地堤〜北条氏照の墓〜管理事務所(トイレ休憩)〜八王子神社(昼食、弁当必須。売店等なし)〜松木曲輪〜坎井(カンセイの井戸)〜本丸跡〜管理事務所。行程、約6q。

解散、管理事務所15:00頃予定。

解散後、霊園前バス停(解散場所から約1q)から高尾駅行バス(180円/大人)が3本/時間程度の頻度であります。
高尾駅の北側は歴史の宝庫です。まず、北条氏照が滝山城から八王子城を築いて移転する要因になったと推定される廿里合戦の古戦場跡を通り抜け、梶原景時が鶴ヶ岡八幡宮の古い御神体を勧進したと伝わる八幡神社を訪ねます。その後、その昔後北条氏の家臣団屋敷があったと伝わる谷筋に入り、横地堤と呼ばれる土塁跡等の遺構、宗関寺の北条氏照百回忌法要のとき寄進された鐘楼、供養のために建立された北条氏照の墓などをみて深沢山に登り、要害部に遺る後北条氏の山城遺構を探ります。
114 2007/12/2 各務湘一 池上道を歩く 京浜急行新馬場駅北口改札前〜北品川三丁目〜荏原神社〜南品川四丁目〜ゼームス坂〜大井町駅〜ニコン通り入口〜大井三ツ又〜品川歴史館(入館料100円)〜鹿島神社〜大森貝塚遺跡庭園(昼食) 〜大森貝塵碑〜山王口〜大森駅〜八景坂〜善慶寺〜環七通り〜大森日赤前〜古代東海道という標識 〜子母沢〜妙雲寺〜堤方神社〜池上本門寺(五重塔、大堂、星亭らの墓) 〜本行寺〜惣門〜呑川〜東急池上線池上駅。解散、東急池上線池上駅15:00頃予定 品川宿から池上本門寺まで約10キロの道です。池上本門寺への参詣道路ですが、途中の大井町駅周辺は古代東海道の大井駅想定地でもあります。日本考古学発祥の地である大森貝塚を経て、八景坂を降れば新井宿、義民六人衆の墓があります。谷中通り(環七通り)を越えた付近が旧新井宿ですが、馬込文士村の南端部にも当たります。池上本門寺は日蓮宗四大本山のひとつです。空襲を免れた五重塔の足下に幸田露伴が眠っています。力道山の墓は五重塔から北の方向に歩いたところです。星亨の墓によってから階段を下りると大坊木行寺、池上氏の居館跡であり、日蓮の終焉の地でもあります。池上駅までの道には、仏具店などと共に、くず餅店も軒を連ねております。
115 2007/11/17 山羽孝 古代官道と中世鎌倉街道を比較する 西武新宿線東村山駅札口前10:00集合〜正福寺(国宝地蔵堂)〜徳蔵寺(元弘の板碑、入館料200円)〜推定久米川宿付近・八国山(将軍塚)〜長久寺〜東の上遺跡(東山道武蔵路遺構発見地)〜新光寺。行程、約6q。(解散予定:新光寺前または西武新宿線航空公園前 15:30頃) 東京都と埼玉県境の狭山丘陵には、鎌倉街道上ノ道と古代飛鳥奈良時代の官道東山道武蔵路とが通っていました。今回は、これらに関連する遺跡・遺構を辿りながら両道を比較してみます。また、途中の正福寺では都内唯一の国宝建造物である地蔵堂を鑑賞し古建築を楽しみ、徳蔵寺の板碑記念館に保存されている「元弘の板碑」を拝見し、八国山将軍塚に登り「新田義貞の久米川の戦い」を偲びます。

最後に、長久寺の西側から坂を上り新光寺までほぼ一直線に通る鎌倉街道を確認して見ましょう。のサブテーマを設定し歩きます。
116 2007/10/21 奥村辰三 東浦和・見沼通船堀を歩く JR南武線府中本町駅改札口前10:00集合〜10:21発の電車で移動〜東浦和駅(11:00頃)〜見沼通船堀公園〜通船堀西側線〜水神社〜鈴木家住宅〜通船堀東側〜昼飯〜木曽路呂の富士塚〜東側代用用水〜自然公園〜浦和くらしの博物館民家園〜大牧氷川女体神社〜清泰寺〜大間木氷川神社〜東浦和駅。行程、約4q。(解散予定:JR武蔵野線東浦和駅 15:30頃) 団報7号で紹介した小山田与清は見沼通船方でした。その管理対象であった見沼通船堀は、八代将軍徳川吉宗の頃井沢弥惣兵衛為永によって造られた閘門式運河で、享保6年(1731)に開通されました。閘門式運河で有名なパナマ運河の完成は1914年ですので、それより183年も早く造られた運河として一見の価値があり、現地に探索します。

(閘門式運河:運河の起点と終点の間の水位差が大きく、船の航行に支障がある場合に閘門をいくつか設置して、閘門の開閉によって水位を一定に保ちながら船を通す仕組み)
117 2007/9/30 庄司健次朗 鎌倉街道と東山道・武蔵路(国分寺編) JR中央線・武蔵野線「西国分寺駅」南口広場9:30集合〜鎌倉街道跡〜黒鐘公園〜国分寺(尼寺と僧寺)〜お鷹の道〜真姿の池〜都立国分寺公園(昼食・弁当)〜一葉の松〜熊野神社〜鎌倉街道跡〜姿見の池〜JR国分寺駅、15:30頃解散予定。 武蔵国分寺があった場所は今でも礎石が残り、ハケの湧水から霧が立ち込める日はなんとも幽玄な様相に変わります。今も残る鎌倉街道や古代道路の痕跡を現地に探ります、恋路太夫ゆかりの傾城の松や真姿の池は昔の物語を思い起こさせてくれるでしょう。
118 2007/8/7 進藤重孝 稲城妙見寺の蛇より行事見学 京王相模原線稲城駅改札前 12:30集合〜栄楽寺〜稲城市立公民館(蛇より行事のビデオ視聴)〜清王園〜奚疑塾(けいぎじゅく)跡〜八坂神社〜虎伯(こはく)神社〜青渭(あおい)神社・厄神社〜長沼城・報恩寺跡〜妙見寺、蛇より行事見学後、流れ解散。 団では、稲城百村の妙見尊には何度か行っており、“蛇より行事”で安置されたカヤ製の蛇を見た人は多いと思います。この行事は、寛文2年(1662)の春、諸国に疫病が流行した時、妙見宮の神木に大注連(おおしめなわ)を張って北辰四天を祭り、またカヤで三百間に及ぶ大蛇の如き大綱をつくって郷境の道の傍に置き、村内への疫病侵入を防いだことに始まり、一時中止の時期もありましたが、再開後は毎年8月7日カヤの大蛇をつくって疫病を防ぐ祈願を行っています。今回、夏の盛りではありますが、地元の進藤講師のガイドにより“蛇より行事”を実際に見学します。350年近く続いている行事の迫力を体感し、歴史の重みを感じてみましょう。
119 2007/7/8 田口俊弥 葛飾柴又帝釈天から矢切の渡しへ、戦国の下総国府台合戦痕跡を歩く 京成金町線「柴又駅」改札口前10:00集合〜柴又八幡神社古墳〜帝釈天〜昼食(コンビニ・お食事ところ有り)〜矢切の渡し(片道100円)〜野菊の墓文学碑・国府台合戦古戦場跡〜矢切神社〜愛宕神社〜新山遺跡(古代東海道跡)〜北総鉄道「矢切駅」にて15:30解散予定。 戦国時代、東京と千葉の県境を流れる江戸川を東西に分けて、小弓公方足利氏&安房里見氏VS小田原後北条氏が死闘を繰り広げました。

俗にいう下総の国府台合戦です。今回はこの両陣営が激突した下総矢切周辺を散策します。併せて近年発掘されて明らかになった平安時代の下総と常陸を結ぶ官道遺跡もご紹介する田口講師のガイドによる史跡探索ミニ・ウォークです。
120 2007/6/24 藤田一彦 板東三十三観音、一番札所杉本寺より二番札所岩殿寺への巡礼古道 JR鎌倉駅東口改札口前に10:00集合〜杉本寺〜釈迦堂切通〜北条時政邸〜衣張山(昼食)〜報告寺(トイレ)〜巡礼古道〜名越の大切岸・切通〜岩殿寺〜JR逗子駅で解散予定。 鎌倉最古の寺、杉本寺は板東三十三ヶ所霊場巡りの第一番札所でもあります。板東三十三ヶ所は鎌倉時代には設定されていたと考えられ、室町中期以降一般庶民も札所を巡拝したといわれていますが、江戸時代には庶民の間でますます盛んになりました。今回あるくコースは一番札所杉本寺から二番札所岩殿寺までの、今でも当時の雰囲気を感じる巡礼道を辿ります。あわせて、釈迦堂の切通しを訪ね、付近に残る北条時政邸、北条義時供養の釈迦堂建立の伝承から、北条氏が六道道を抑えていったことを推理したいと思います。

今回は、岩殿寺の途中で、名越の大切岸と切通しに寄り、三浦氏への抑えである要害のさまを実感する藤田講師のガイドによる史跡探索ミニ・ウォークです。
121 2007/6/3 小菅勲 昔の図師を探索し鎌倉街道・奥州古道を散策する 熊野神社(バス停、図師)〜宿地区(芝溝街道沿い)〜伝鎌倉街道〜縄文遺跡跡〜

市立室内プ−ル(昼食)〜日大三高〜龍沢〜結道地区(奥州古道)〜熊野神社(バス停:図師)

解散(16:00頃)
図師の奥州古道(一部大山街道と重複) は古街道団でも一部歩いた事は有りますが、鎌倉街道を歩いた事はないと思います。これは地元に伝わる古道で路傍には石塔類や縄文時代の遺跡も有り、宮田団長によれば奥州古道系の鎌倉街道であろうとの事です。一方図師は商人町でもありました。図師宿を東西に縦貫する江戸街道、今の芝溝街道沿いには旅館・染物屋・呉服屋 明治初年の小野郷学の教場まで有りました。今でも地元の人は屋号で呼び合っています。旧家でのお話も考えています。地元・小菅理事のガイドによる史跡探索ミニ・ウォークです。
122 2007/5/13 田中次雄 境川源流域の鎌倉古道と小松城址・川尻八幡神社の歴史ロマン JR相原駅(9:50出発)〜大戸観音〜鎌倉街道山の道裏道〜権現谷〜甲州街道抜道〜大戸緑地〜雨乞いの碑〜若宮八幡社〜大地沢少年センター(昼食)〜草戸峠〜龍籠山(金毘羅社)〜小松城址〜川尻八幡宮〜参道〜東原宿バス停〜JR橋本駅付近で解散(16:30頃)(行程約6〜7Km、若干の山道あり) 多摩丘陵を東最奥で南北に横断するところ、これが秩父・甲斐と結ぶ「鎌倉街道山の道」です。大戸〜権現谷には今もその雰囲気がよく残っています。大戸から堺川を渡り、そのまま南に進むと八王子城と連携するかのように小松城があり、中世城郭の面影を残しています。また、上・下川尻村の鎮守、川尻八幡神社には約1000mの直線参道があり、鎌倉鶴岡八幡宮を想起させてくれます。そしてこの参道には更に秘められたロマンが・・・・。

今回は境川源流域の鎌倉みちを辿り、城跡、古社を歩く田中講師のガイドによる歴史ロマン探索ミニ・ウォークです。
123 2007/4/14 金子功 八王子高月城から滝山城へ、中世の城跡と古道を歩く JR青梅・五日市・八高線「拝島駅」南口改札口前集合(09:50)〜拝22杏林大学行き(10:10発)バスで「高月」〜高月城址〜円通寺〜不動院〜滝山城(本丸跡・中の丸跡・二の丸跡・千畳敷跡等の主要曲輪跡、弁当昼食、自由探索)〜滝山城址下付近で解散(15:00頃)(行程約4キロ)滝山城址下停留所からJR八王子駅行/京王八王子駅行等の路線バスがあります。 滝山城は永正18年(1521)に大石定重が築城し高月城から移転したのが始まりと伝えられています。また、永禄12年(1569)10月に武田軍2万人に攻められても2千人で持ちこたえたと伝わる難攻不落の城としても知られる国内屈指の平山城で、雄大な規模と巧みな縄張りを持つ城郭遺構がよく保存されていることから国の史跡にも指定されています。

今回は高月城址から古甲州道(鎌倉道?)を辿り滝山城址を訪ね、中世の城郭遺構を歩く金子講師のガイドにる史跡探索ミニ・ウォークです。
124 2007/3/25 小菅勲 図師宿ひと巡り!鎌倉街道・奥州古道・探索ミニ・ウォーク 熊野神社(バス停、図師)〜宿地区(芝溝街道沿い)〜伝鎌倉街道〜縄文遺跡跡〜

市立室内プ−ル(昼食)〜日大三高〜龍沢〜結道地区(奥州古道)〜熊野神社(バス停:図師)

解散(16:00頃)
図師の奥州古道(一部大山街道と重複) は古街道団でも一部歩いた事は有りますが、鎌倉街道を歩いた事はないと思います。これは地元に伝わる古道で路傍には石塔類や縄文時代の遺跡も有り、宮田団長によれば奥州古道系の鎌倉街道であろうとの事です。一方図師は商人町でもありました。図師宿を東西に縦貫する江戸街道、今の芝溝街道沿いには旅館・染物屋・呉服屋 明治初年の小野郷学の教場まで有りました。今でも地元の人は屋号で呼び合っています。旧家でのお話も考えています。地元・小菅理事のガイドによる史跡探索ミニ・ウォークです。
125 2007/1/7 中丸三次 勝五郎再生を辿る 京王線聖蹟桜ヶ丘駅西口改札前に10:00集合〜松連寺道〜百草園付近の古道〜百草園(昼食)〜生家〜中央大学〜谷津入〜中央大学南交差点付近の野猿街道沿いのバス停で15:00頃解散予定(行程約5キロ) 中野村谷津入(八王子市東中野)の百姓小谷田源蔵の次男勝五郎は、八歳のとき「白分の前世は、程久保で生まれ父は九兵衛、名は藤蔵といったが六歳のとき庖瘡で死に三年後にこの家に生まれ変わった」と言う。祖母と程久保村を訪れると、藤蔵は確かに六歳のとき庖瘡でなくなっていた。この話は、平田篤胤の『勝五郎再生記聞』小泉八雲の「勝五

郎転生」に書かれ、さらに『仏の畑の落ち穂』としてボストンとロンドンで出版された随筆集にも収録されている。因州若桜藩の藩主であった松平定常(池田冠山)もこの話を聞き、中野村に尋ね「再生前世話」と記録に止めている。池田冠山の大名駕籠での中野村行きと時の地頭に江戸屋敷に呼び出された勝五郎親子の辿った道を検証してみよう。
126 2006/12/3 中丸三次 拝島宿場巡り JR青梅・五日市・八高線「拝島駅」南口改札口前集合〜熊川分水〜天神社〜龍津寺〜昼食(弁当持参)〜拝島分水〜拝島大師〜拝島橋付近で解散予定。解散後、拝島橋北停留所から拝島駅南口行・立川駅北口行等のバスがあります 拝島は日光街道と奥多摩街道が交差する宿場町。日光街道は、江戸時代初期に日光東照宮警護のため八王子千人同心が日光に赴くために作られた街道で、奥多摩街道は、江戸と甲州を結ぶ八王子を経由する街道です。2つの街道が交差する拝島は上宿・中宿・下宿に分かれ、今でも奥多摩街道沿いには寺院や神社、古い民家が多く残り、旧街道の面影を残しています。

 また、水が豊富で各地に湧水があることでも知られ、今回は拝島宿の宿場と拝島分水、熊川分水などを歩く、中丸副部長のガイドによる史跡探索ミニ・ウォークを開催します。
127 2006/11/26 奥村達三 多摩市の石仏巡り 聖蹟桜ヶ丘駅〜下向田庚申塔〜宗観寺の一石六地蔵〜延命寺〜観音寺〜熊野神社の地蔵〜昼食(市役所付近、弁当持参)〜寿徳寺〜宝泉寺〜真明寺〜小野神社〜聖蹟桜ヶ丘解散予定 普段なにげなく見過ごしてしまう野仏や石像物にも当時の歴史が刻まれています。近年急速に自然が破壊され失われつつありますが、これら貴重な文化財を一人でも多くの人に知ってもらうべく、多摩市内に残る石仏を尋ねて秋の日にのんびり歩きます。奥村部長のガイドに史跡探索ミニ・ウォークです。
128 2006/10/8 奥村辰三 狛江の古墳巡り 小田急線「狛江駅」改札口前集合〜駄倉塚〜松原東稲荷塚〜伊豆美神社〜兜塚〜昼食(五本松原付近、各自弁当持参)〜玉川万葉歌碑〜亀塚〜竜泉寺〜経塚〜狛江駅解散 狛江市南部を中心に分布する狛江古墳群は、狛江百塚とよばれ、戦前には120基ほどの古墳がありました。しかし、今では周辺の開発が進み、5〜6世紀頃のものと思われる古墳、約40基を残すのみですが、「亀塚」「兜塚」「経塚」などは保存の措置がとられています。

今回はこれら保存の措置がとられている3つの古墳を中心に、初秋の多摩川の川辺を歩く、奥村部長のガイドによる史跡探索ミニ・ウォークを開催します。
129 2005/2/25 中村 俊一 古代都筑小王国のロマンを探る 柿生駅〜路線バスで水道局青葉営業所前〜稲荷前古墳群〜市ヶ尾横穴古墳群〜自由昼食(市ヶ尾駅周辺飲食店)〜朝光寺原遺跡〜都筑郡役所跡〜江田駅〜田園都市線あざみ野駅〜センター南駅〜横浜市立歴史博物館〜大塚・歳勝土遺跡公園〜あざみ野駅